恋するプログラム

恋するプログラム―Rubyでつくる人工無脳

恋するプログラム―Rubyでつくる人工無脳

技術書なので「はてな年間100冊読書クラブ」には入れない(ごめんなさい)。

すばらしいね

もう、タイトルとテーマがズっぱまりなのである。Ruby人工無脳を作る、というテーマの本に「恋」というタイトル。

恋とは何でしょう

「僕、チャットにはまっていたことがあるんですよ」
「仲間で集まっておしゃべりするのは楽しいね」
「あぁいや、そういうのじゃなくて…」
「異性と話すような?」
「そうそう。ツーショットチャット、みたいなのとか、複数で男女で…みたいな」
「男女で…って、チャット上で、何かするのかい」
「そりゃ、そのためにやってるんですから」
「理解できないな。所詮文字だろ?」
「えっ、文字だから何でもできるんでしょ? 実際逢うためにチャット利用するほうが理解できませんよ。」
「だって、チャット上では、相手が男か女かさえ、わかんないわけだろ」
「そんなの、関係ないですよ。女の子っぽければそれで…」

「恋」とは不可解なものとのコミュニケーションによる思いこみの名前である

で、人工無脳である。

簡単に言うと、人工無脳は、自分の話す言葉の意味について、何も理解していない。入力された言葉を、処理するパターンがあって、適当な言葉に適当な対応を返しているだけなのだ。

何も考えていない、でも、表面的に見れば、何か考えているように見える。人間の方が、人工無能のヘンなリアクションを、人間的だと深読みして、喜んでいるのだ。

そして、そのことを「恋」と呼ぶ。つまりこの本は、1冊かけて、僕たちが、人間的な反応をしていると「思いこみ」=「恋」をしてしまいそうになるようなプログラムを作りましょう、と、言ってるわけだ。

恋の深さは

「…と、まぁ、このようにですね、いろいろ、チャットの中で、現実ではありえない人格を作ったりですね…シチュエーションを…」
「わかった、わかった、悪かったよ」
「だからですね、僕が言いたいのはですね…」

蛇足だけど

どういうチャットで(リアル世界とのバインドが強いのか、弱いのか)知り合って、どういう経緯で、あの男と女の子が逢うようになったのか、よくわからないのだけど(脅迫した、というのがますますわからない…)、一般的なことを言うと…

チャットで作った仮の感情が、逢えたから満たされるってことは、ない。原理的にありえない。逢えないから、不可解だからこそ、恋という現象が作れるわけで、実際に逢ったら相手の器量が良かった/悪かった、そういうこと以前に、逢うということ自体が関係を変えてしまうのだ。

かの男は、「ハーレムを作る」ということに憧れていた、という報道を見た。それが「できてしまう」、女の子と「逢ってしまう」ということが、どういうことなのか。自分の脳内の物語と、それを現実にしてしまうこととは、(倫理的な問題以前に)本質的に「違う」ことなのだ、そういうことを、教えたほうがいいんじゃないかと思った。

うまく言えないが、「実際に行動に移したらどういうことになるか、考えられないのか」ということとは違う。それは、どこかずれている。それは暗に「どういうことになるか、判断して、問題がなければやってもよい」ということを言っている。かの男は、自分の認識の範囲内で、「やってもよい」と思ったのだ。

「考えられないのか?」「考えましたよ」「それならその考え方が間違っているんだ」

…この場合、間違っているのは、誰だろうか?

で、本の内容ですが

今から読みます。手を動かして…。

接続

そりゃもちろん、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だっぺ。(違うかも)