オモシロってなんだっけ 2
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昨日の話題に続いてますがメモのみ。
- 『花と太陽と雨と』みたいなゲームになってないゲームを「いやこれもゲームなんだよ」と認めるために、本質的なルールからは等距離逆方向である、FFみたいなのも容認してるって感じかも
- あぁあくまで自分が。
- 電子ゲームである以上、一定の生理的な快感を追求する、ってことからは逃れられないので、「シンプルなものがいい! 映画ゲーはつまらん!」みたいな言い方は実はそれほど説得力がなくって好みの問題という感じはする。
- 「超リアルなボクサーの筋肉が躍動する」も、もとをたどると「スーパーマリオのAボタンのポォーォーン」みたいな
- リアル指向かどうか、ということよりも、「笑い」の要素がどこかに入ってないとダメってことなんじゃないかなぁ。伝えようとしている以外のところで、ユーザに再解釈や想像の余地があるのかどうか。
- 想像力とかいうと、またいらんことを言われかねないので、「笑い」としておく
- そういう意味で、リアルさを増すと、ユーザの「笑い」生成の余地が減っていくから、リアル批判になると思うんだけども
- 結論。ふつう文句言われるところの「リアル」の対義語は「ゲームの本質に近いシンプルさ」じゃなく「笑い=ユーザーに残された余白」なんじゃないかと。
- リアルだからダメ、なんじゃなくて、リアルなものの中には、ユーザから楽しみの余地を奪うものが多い、というだけ。性能向上によるただの「リアル」ならば、「笑い」と共存することはできる。
- 余白のすくないゲーム(若年層向けのゲーム。えーと、テイルズオブなんとか、みたいな、マジすぎるゲーム*1)を、おっさんになって、だんだんやらなくなっていく。
- けどまぁ、それは好きずきだからしょうがない、っていう感じ。余白が少なくて受動的なものだって、いちおうゲームってことになってるんだし。
- リアル指向でも、ネトゲとかは、基本的にキャラとプレイヤーの乖離みたいなものが、巨大な笑いの世界みたいなのを作ってる(前提がお笑い)から皆はまるんじゃないか、という仮説。おれはせんけど。
*1:もちろん、それ向きの脳内辞書ができてる人にとっては、脳内二次創作みたいな、笑い生成の余地があって、だからこそ売れるんだと思うけど