さようなら、ギャングたち

犬を風呂に入れていると電話が鳴った。
「もしもし、えーと…あの久木田です、わかりますか」聞いたことのある声だった。
「えーと、あの、はてなーの?」
「そう」
「久木田さんっていうか、アイディーメルキオールさん?」
「そう」
「うわぁ、お久しぶりです、どうしたんですかいきなり」
「あ、やっぱり、メール見てない?」
電話を持ってそのまま台所に行ってPCを見た。「久木田さん」からの他にも、オフ会で会った人の名前のメールが2通あった。
そのまま、はてなダイアリー日記を開いた。

明日のはてなミーティング 00:00

明日のはてなミーティングは、オーディオストリーミングを利用して、午前9時から行います。RealPlayer,Windows Media Playerをお持ちの方は、以下のURLからお聴きいただけます

「あ…準備するから待って」
「あぁ、いいよ。間に合うように電話しただけだから。メルカトルは元気?」
「えぇと…うん…。老犬だから、いろいろあるけど…」
「そう。まだまだこれから暑いから、気を付けないとね」
「うん、有り難う」
「それじゃ」
「それじゃ」
時計を見ると、まだ20分くらい時間があった。犬にタオルをあげて(うちの犬は、大きなタオルをあげると、自分から身体をこすりつけて拭く。メルカトルというのは勿論ハンドルだ)、洗い物をかたづけておくことにした。
からししとうを摘んだ妻がもどってきて、勝手口からのぞいた。
「メル、ほったらかしにしてる? バタバタいってるよ」
「うん。ね、それ片付いたら、ちょっといい?」
妻は、ちょっと眉をひそめたが、すぐに小走りに裏から納屋に回った。玄関から戻ってきたときには、すっきりした顔をしていた。
僕が皿を片付けている間、妻がPCを使って、日記を更新した。
「ねぇ、みんないろいろ書いてるよ」
「うん、わかってる。後で読む」
「それ、タグ?」
「今のは、本心の、後で読む」
手を拭きながら、ソファに座った。妻が離れて聞こえるようにスピーカーの音を大きくすると、ショワショワとノイズのような音が聞こえた。鉢山でも蝉が鳴くのかも知れない。
何人もの人が近づく足音があり、椅子に腰掛ける音があった。9時になった。

「えー、おはようございます。あの、今日は名乗ります。近藤です。じゃぁ、こっちから順番に」
「大西です」
「なおやです」

犬が、まだ濡れたからだのまま、タオルをひっかけてやってきて、傍らに座った。僕と妻、二人で、丁寧に犬を拭くと、犬はキュンキュンと鳴いた。
妻はずっと、この犬をメルと呼んでいる。僕のこともときどき、IDで呼ぶ。


「川崎です」
れいこんです」
「今日は、ミーティングは、ありません。みなさんに、おはなししたいことがあります。今からの15分をそのために使わせてください」

れいこんさんが右?」
「それはゲーマー的発想かも」
玉音放送って、こんな感じだったのかしらね」
「どうだろうね。もっと暑かったかも知れない」
「立って、聞いてみる?」
「まさか」
犬の頭をなでながら、小声で話した。

「わたしは、常に、わたしの直観にもとづき、わたしが使ってよいと思うものを、作ってきました。」

「わたしが作ったものについて、評価、解釈を行うのは、受け取った人の自由でなければならないと、最初に決めました」

「最後まで弁解とかしないのかな」
「しない、というか、することが考えに入ってないんだろうね」
「ねぇ、そもそもなんで、ミーティングの音声公開なんてしたんだと思う?」
「君の答えに、オープンって言葉は含まれてる?」
「全然。あなたもそうでしょ?」
「うん。じゃ、せーので答え合わせをしよう」
顔を見合わせて、僕たちは一緒に同じことを言った。

「毎日文字にするのが面倒だったから」

遠くで蝉が鳴き始めた。