「系」をいかにして認識するか
web日記を中心にした、自分の個人コンテンツへの考え方が、人とずれてるのかもしれないけども、「なんちゃら系」の魅力を発見する、というのは、<情報>によって、ではなく、それを語る<人>によってだと思う。
んー、たとえば、「SF系」web日記の人が、イーガンの新刊を今ボコボコ買って、それについて「いみわかんねー」「なるほどー」とかおしゃべりがはじまってるわけだけど、そういうのなしでは、あんなクソ難しい小説買わないと思う…少なくとも私は。隣百姓と呼びたければ呼べ。
話変わって
「ボードゲームをはやらせるために、ボードゲームに関する情報を整備しよう」みたいなことを言い出す人があったとする。わりとそのへんの動きは、wikiなんかがあって今は速い。
でも、そういう「情報」を所謂「初心者」が見て、よし自分もやってみよう、と思うかというと、可能性は高くないんじゃないのか、と思う。
そもそものモデル
そもそも、こういう話で出てくる「検索してくる初心者」とはどういう人なのか。
- 「お客さん」が検索で情報を求めてくる
- 「詳しい人」が情報を提供する
みたいな、素朴なモデルが信じられてると思うのだけど、果たしてそんなんをモチベーションにして人は動くのか、というのが、非常に疑問。
もちろん、「ない」よりは「ある」ほうがいいし、そういう労力を否定するものじゃないけど。でも、「検索してくる」みたいな、あるのかないのかわかんない行動をきっかけにするんじゃなし、もっと主体的にかかわる能力のある人材は、別にいると思うんですね。