氷と雪の日記

昨日から降っている雪で地面は白く、シャーベット状の足元をこわごわ確かめるように小股で歩く。ところどころで滑りそうになる。
昨日の晩、ツタヤで『白鯨』を手にとって買おうとしたが、荷物が多いのでやめていた。そして家に帰ると(略)。いつでも買えるものだから買っておけばよかった、ということはないが、ささいなことで気持ちの中で本への距離が近づいたり離れたりするのである。こういうこと、(略)、になってしまった原因の多くは、出来事の尻馬にのって言いたいことを言うだけの、自分のようなものに一番あるのかも知れない。かといってそれをすっかりやめる、ということができない。じぶんには反省するという機構が欠けている。反省とはエネルギーではなくエネルギーを使う機構のことだと最近思うようになった。
数日前の日記にも書いたが、「議論」と称して人から自分語りを引き出し、それを「議論」の一部、あるいは「議論」をねじ曲げようとする材料として読んでしまうことがある。でも誰がそれを「議論」とやらにしたのか。トラックバックというシステム? そんなもの、(略)、まったく。