長考反対キャンペーン
先日も書いたとおり、長考したい人、したくない人、いろいろいるし、シチュエーションも様々なので、その場で今はどういう集まりなのかをきちんと話せるような空気を作ることを、解決案のひとつに入れていいのではないでしょうか。
どこで折り合いをつけるかが問題なのであって、それを「ボードゲームっていうのはみんなで楽しむものなんだよ、大人としてそんなこともわからないのか」みたいな空気嫁プレッシャーを無言でかけてこられると、しんどいですね。
人の時間を奪うことが悪い、というのがわからない人は、それほど多くないと思いますので(長考する人は大人のマナーも解らない人だ、と相手を見るのは、これは相手への無用な侮りである可能性がある)、あえてそういうことを主張している、というのが、ちょっとよくわからないというか。そんなに酷い事例があるんでしょうか。
私は、そこまで「長考が酷い人」、というのに出会ったことがないから、よくわからないのですが(自分が優柔不断だから自分が長考してるのに気づいていないだけ…、というのはあるかも)…嫌煙運動と同じで、ある程度主張として、あたりまえのことでも明文化して強く言っておいたほうがいい、というのがあるんでしょうか。
自分の考える「大人」の定義
いずれにしても私は、ボードゲームプレイヤーが多様な価値観や主張を、対話で解決できる「大人」であることを希望するものです。
発端
元はid:bis_coさんの記事にコメントがついたあたりが話の始まりのようです。
話の前後が見えないのですが、具体的な出来事があったんでしょうか。
(エントリを書かせるトリガーになるできごとがあった、と勝手に臆測すると)何か具体的なトラブル、不愉快な事件を受けて一般論で「長考よくない」と書いてしまう、というのは私もついやってしまうことですが、どういう人が、なぜやってしまうのか、という分析をとばしてしまう可能性があります。
でもちょっと気にするだけで、もっと良くなる。きっと良くなる。
眉間にシワ寄せず、ニコニコとボドゲ。
「ちょっと気にする」が励行できているかどうかを判断するのは誰なんでしょうか。
提案
「あらかじめ自分の手でやることを考えておこう」「それくらい大人の常識」といった曖昧なルールを、それを守るのを呼びかける、というのは、守れなかった場合、宗教裁判になってしまう可能性がある。
長考しそうなときの声のかけかたや、人が長考しているとき、喧嘩にならないような促しかた、といった、具体的な行動のとりかたをキャンペーンにするのはどうでしょうか。
例: