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公開できそうにない、しても意味がないような領域があると思って、そういう日記を手書きにした。何の本を何ページまで読んだとか、朝昼晩何を食べたとか、そういうのをここ(およびはてなグループの公開日記)で晒してると、日記人格としての私への自己憐憫という段階から抜け出せないような気がするので。

特別書きたいことがある場合には書く、たしかに書くが、ここで書くということは、誰かに向けて語りかけるということだ。

手書きの日記ではそれがないかというと、そうでもなく、わたしは未来の自分に向けて語りかけている。

つまりこれらは、変質しながら連続している。

「詳細はmixi日記にて!」など生ぬるい。徹底したいのなら、「詳細はMOLESKINEのノートにて!」だ。mixi日記が一部の人にしか読めないことを(なんとか八分とか)あれこれ言う人には、そのように言ってみてはどうだろうか。オレ、自分しか読めない日記を手書きで付けてるんだよね。

追記

mixi日記みたいな、確かにそこにあって誰かが読めるのに、自分には読めないものから受けるストレスというのは(人間的なごたごたを除外して考えると)自分のすぐ横で携帯電話で話している人がいるときに感じるイヤな感じに似ている。気にすれば気になるし、そういうものだと思えばどってことないというか。