夏がはじまり、何かが終わる日記

たとえば自分の親があと何回夏を迎えられるか、そういうことを考えるといままでの自分の無為に背中が寒くなるのである。字面では何度でも、時間は有限だと言える。しかしそれだけでは何の説得力もない。人に時間の有限さを説く人は「時間は有限です一日は二十四時間しかありません」としか言わないのはバカみたいだからやめろと言いたい。死ぬということを経験のどこかに持っている人に対しては強く響くかも知れない。しかし経験していない人に理解させるのが言葉なのであって、人に説明するのに「時間は有限です」はない。ひどい。だから私にはその言葉の意味が理解できなかった。これからも「時間は有限です」という言葉は「郵便ポストは赤い」なみにどうでもいい言葉だと思うだろう。

何の話だ。つまり、一つの原理を軸にして自分の考え方をどう変えて展開していけるか、ということを書く場所のような気がする日記とは。

そういうことを考えながら朝からタマネギを炒めた。