凹ませる、凹まされる、補遺
もし、そーいぅ言葉に凹んだりショックを受けたりしたとしても、「えーい、うるさいょ」とか「じゃ、もっかいやり直してもいい?」とかって、冗談交じりに返しとけば、それでいいんじゃないかな?言った相手も、素で思ったことを言ってるだけで悪気はないと思うし。
ま、それはその通りなんだけど。
- そういう返しをするのが困難な人がいるということ(キャラ的に「えーい、うるさいょ」といいづらい…)。
- そういう人にとって「軽く返せばいいじゃない」というのはけっこう難しい注文だということ
という事態なわけですね。
で、d:id:mutronix:20060911:playingで私が書いたのは、「言われてる側の人にもなにがしかキャラがあると思うから、そのキャラを持ちキャラとして有効利用できるようにちょっと意識すればいいんじゃない? (素の自分とは別にキャラをちょっとつくる工夫をする)」といった感じのこと。
でも、言われてる側に「優しい」立場に立つと、
- 言われてる人に、そういう突き放しはいかんのでは?
- 本人にその言い返しの能力がないのなら、周りがなんとか言ってやるべきでは?
ということになり、私の日記のコメント欄にあったような言い合いになる。それも確かにそうだと思うんだけど…、それは立ってる場所が違うからそう見えちゃうんだなぁ、としか言いようがないです。(この立ち位置の違いについてはいつか書くかも)
全然対応してないわけではなく、今でも、人のイタい言動に対して「いやぁ…」と言いつつみんなでヒイた空気を醸し出すのはやってることだし、度を過ぎたら誰か何か言うかも知れない。そんだけです。
(日記でその問題を別の話にすりかえようとしていた、という非難に関しては、一部当たっているかも知れない。しかしそれが全てではない。)
いつか書くかも、のメモ
- 立ち位置の違い(人間存在かけてゲームしてません)
- おれがヘタレなのは相対的にヘタレなのであって、たとえばバスの中で席を譲った人が譲らなかった人を睥睨して「このヘタレどもが」と言っていいのであれば、ヘタレだし、ヘタレと言われて我が身を恥じ入ることはするけれど、譲った人と譲らなかった人の間に質的差異があるとは思わない。
- 日記で事実を別のように解釈することについて。「おれはゆるーいのが好きなの。みんな空気読んでいこうよ。わかった?」まぁ書く意味の中に多少そういうところはあるかも(あるか、と聞かれたらゼロとは言えない)だが、全てではない。そんな小さい影響力のためだけに書いてるわけじゃない。