epiグループを作った

むらっとして、g:epiというのを取ってみた。

書いたことと日記人格が隣接しすぎて日記人格が窒息しないための対策なのかな、と、人ごとのように思う。コメント欄であれこれ言い合うのは構わないが、その後、そこから、また何か書きたくなる自分というのがいて、いつも、この処遇に困る。コメントのやりとりを経て考えたことを、同じ日記の新しい日付に、新しい意見として書いてしまう。

そうすると何が起こるか。読者は「第一の記述と第二の記述を書いた記述者」の存在を意識せざるをえなくなる。そして、意見は、第一第二の記述に対してだけでなく、第一の記述から第二の記述に話を発展させた記述者の姿勢に対しても向けられるようになる。

つまり、書き手の態度に話が及び、必ず話がめんどくさくなる。不自由。ブログは「意見交換も出来る日記のようなものです」ファック。それを混ぜるから鬱陶しいことになるんじゃないの。

意見を書くさい、「記事 includes 意見」であることにして、記名性を保ったまま書き手の現在と意見をある程度分離させること、この意見は改版する可能性があるということ、などを明示したらどうなるだろう、ということです。