たとえば外で飯を食っていておれの横に煙草を吸う人がいたら

まずここが禁煙であるか喫煙可であるかどうかを問わず、人の横でこいつは煙草なんぞふかしやがって飯がまずくなるだろう、と、ちょっと吸ってる人の顔を見たいものだ。それからおもむろに、ぱたぱたと自分の前にかかってくる煙をわざとらしく手で払いたいものだ。煙草を灰皿に乗せたままその場で長電話なぞ始めようものなら、吸わないならお前煙草の火は消せよバカと、舌打ちをしたいものだ。

おれの嫌煙基準自体大きく変動するもので、吸う側の人が自分の知り合いだと、この基準が大幅に緩和される。相手が気をつかって「あ、すいません煙草いいですか?」と言ったときでも「いえいえどうぞどうぞ」と笑顔になれる。

何かあったら駅員や店員を呼べ、というのは、おれのそのような曖昧な嫌煙基準に基づいて、卑小な自我が溜飲を下げる機会を奪ってしまうことになる。これからも積極的に舌打ちをして溜飲を下げていきたい。

というのは冗談ですが。

  • 煙草を吸っている人に、その場で注意しても、その人がその場だけ反省したふりをするかもしれない

そうかも知れないが、注意する側にだって

  • 煙草を吸わないように訴える人の動機も、ここは禁煙だから吸ってはいけない、というルール意識に基づくものではなく、「人が飯食ってる横で煙草プカプカやられるとむかつくんだよファック」という感情に立っている、手前勝手なものかも知れない

という、可能性がある。

しかし、両者そういう気持ちだとしても、あたりさわりなく、「すいません、ちょっと煙草は…」「あ、失礼しました気づかずに」という対話はできる。腹の中で何を思っていても成立するだろう。繰り返せば吸わなくなるかも知れない。

声を掛けていけば、今まで迷惑な場所で吸っていた人も「絡んでくる嫌煙者が鬱陶しいから」吸わなくなるかも知れない、ということだけど。

これをululunさんは、心のこもらない反省に過ぎない、と評価されてるみたいだ。でも「鬱陶しがらせてやめさせる」以外にどういう成功シナリオがあるのか、自分は想像に困る。普通そういうものじゃないの、というか。「声を掛けられたことで公徳心にめざめて吸わなくなる」とか? そりゃないだろう。