「長考反対キャンペーン」の発想(のダメな部分)に学ぶ

「ボードゲーマーはお風呂に入りましょうキャンペーン」展開の予感がする。

「オレ(オレの身内)が不快な体験をした」ということを、間のさまざまな手続きをすっとばして、いきなり一般論として語れる、というあたりが、自分の感覚とかなり違う。

不快な体験をしたときの対応術を蓄積させたほうがいいのでは。

追記

私が違和感を覚えた点がわかりやすくなるかも知れないので、誇張した比喩で書いておこう。

  • 私の知っているローマ人に、私は**という酷い目に遭わされた。
  • 諸君にも心当たりがあるだろう、そう、君の隣にいるそういうローマ人だ。
  • このようなローマ人がいては、神の望まれた世界は実現できないことは自明である。
  • 諸君等が神の御意志に従いたいのであればローマ人に**させてはならない。

追記2

この論法の巧妙な点は、反論しようとすると、「ならお前は、**するローマ人がいないと思うのか?」という、事実認識の話にずらされてしまうこと。「**するローマ人がいる」からといって、上の主張が正当だとは言えない。

追記3

ゲーマー=クサイになるんじゃないかという危惧。

そうではなくて、上の論法が成り立つなら、そのやり方で何でも言いたい放題にできるよなぁ、という話。あとまぁもにょもにょとありますがこれは日を改めて書きます。

上の論法でキャンペーンが成立するのならば、「クサイ」だけではなく「キモイ」「トロイ」「デブ」「シャツがチェック柄」などのもっと曖昧な事柄に対しても、「いるいるそういう人」という共感だけで、問題として取り上げることができる。

今まで、なんとなく、あーこの人はちょっと変わってるなぁ、と許容していた場所に、言語化することによって「クサイ」と線が引かれるわけです。そんなことをわざわざキャンペーンで言語化して、共通の意識にまで上らせて、「クサイ奴はダメ」とプレッシャーをかけて、達成すべき「普及」とは何。くだらない(あぁ、これはかなり私のシャドーボクシングだな)。

つか、上は過度の煽りにならないように「ローマ人」と書きましたが、「ユダヤ人」と書き直して読んでみたら感情ゲージがどうなるか、という思考実験。

追記4

「風呂入れよ」ってのは一般論として語ってもいいと思うんだがねw
長考云々と並べて語れるようなレベルのもんじゃなかろうて。

風呂には入ったほうがいいですね! ていうか何日も入らずに集合…みたいなワイルドな集まりがあるのか、ちょっと想像できないんですけど…。私もけっこう汗かきで夏場は気になりますが、集まりの直前にお風呂に入ると、服を着た後で発汗するので時間はゆっくり時間をとっておいたほうがいいですね! あとコンビニで600円くらいで制汗スプレーは売ってあります。

…いや、それはそうだし同意ですけども。

そういうことを言うのに「普及のために」って看板が必要なの? ということがいいたいだけ。

「臭いきっついよね→連れがいやがってたんだよね→これ読んでる方、気をつけましょうねぇ」と書けば通じると思うんですけど。

「普及のために」っていう看板をくっつけられると、微妙な主張も通っちゃいそうな感じがするのでそういう論法はおれは警戒しますよ、という話です。

追記5

まぁそんなにとびついて絡むような話でもないですけども、年末進行なのでだらだら書きました。

脳内で、クニツィア先生・ハンス君・アレアたんの屁理屈問答にしてましたが、あんまりおもしろくないし時間もかかるので却下。

あとこの話を、なんちゃらを愛する心とかに適宜書き換えて読むと、おれはわりと左寄りということになるので「根拠を示せ!」言うだけの珍※団(ちんこめだん)に絡まれないように用心しようと思った。