「羅生門」についてメモ

「死者の髪の毛をむしることは悪ではあるが、むしられる相手も悪をなしているのだから、許してもらえるだろう」という婆の理屈は、下人の行動の裏付けになっているとは言い難い(許されることは悪であることの代わりにはならないから)。
それを受けて「ならオレがお前に悪をなしてもいいということだな」というのは、悪を受け止めるという話ではなく、詭弁に詭弁で開き直っているだけ、という印象を持った。