補足

あぁいえ

窘めたのではなく(窘めたのであれば上は皮肉に寄った書き方だけどそういう意図はない)本当に自分に対してそういう風に思った、というメモです。

あ…しかし話題として、Wizardry的な皮肉は若干かすってるかも知れない。「うまくなって、もっとうまくなる…これなんか、どっかでやったゲームに似てね?」とは思いました。

二題話

何故そういう方向につぶやきたくなったか、というと

もはやきっかけというか印象のみになるけども。

断片部終わってみると、何か書こうと思っても、字が汚くて何も書けない自分がいる。

この成分をこれからどこで組み立てればいいんだろうと(発散や消化ではないと思いたい)、ぼんやり考えていた。

  • 人の書いてることを読むと、自分も何か書きたくなる。
  • しかし、どうでもいいことに対してどうでもいいコメントを書くことはやめたのだった。
    • 納豆は番組に騙されたって言うレベルの話じゃなくて、買いやすかったからちょっと買っただけでは
    • みんなと同じゲームがしたいなんて嫌だね、というのは誰でも通る道かも知れないね
    • 云々。
  • ブックマークコメント然としたことは書けると思うけど、問題は自分が本当にそういうことを思っているわけではないのかも知れない、という点にある。
  • あーまじでどうでもいいぜ
  • そうやって書きあぐねていると、書いても書かなくても結果というのは同じだな、と思えてくる。(自分はブロガーじゃないのだから)

しかしそこから「これが世に言う日記書きの寿命というやつか…」という思考には、なってない。

顧みるに、人の書いたものを読んで、自分が違和感を覚えて何か書きたくなるとき、というのは、最終的にはロジカルな正しさ誤りという話に収まっていってない。ロジカルな正しさ・知識の正しさというのは求めるが、それは手続きに過ぎないのであって、結果として正しい石がひとつ置けたところで、それは自分にとってはどうでもいいのかも知れない。「私はこう思う、あなたのここが間違いだ」と、テキスト世界に敢えて還元するまでもないのではないかとも思える。

そんなことよりも「みんなと語らうゲームなんてしたくはないぜ! オレはオレのゲームがしたいぜ!」という書き方の文章を読んで、「それ何て中二」とカテゴライズしたくなる自分の貧しさのほうが問題。

ときどき前衛書道的な作品を書きながらも理屈の書き取りを繰り返していく、というのが、今後の自分の脳直活動の進む方向なんじゃないかと思った。

与えられたネタに反応せず、文体と向き合うことで深まるロジックもあるような気がします。

かくして

私は g:nikki を愛するようになった。長い道のりでした。