日記

午後から郊外で部活。

速度不足→準備不足→機会の損失、ということが、ゲームでもリアルでも起きているような。ゲームをすることでリアルの機会を損失しているのだから、これは入れ子になって起きると、いうことだけれども。

ありていに言えば、時間がないわりに認識がトロい、ということなのだが。

珍しさによる興奮と認識の組み替え、という部分で楽しむ楽しみ方に耐性がついてきたのだろう。どれだけ斬新なシステムでも、それを受容する人的枠組み(自分+プレイ仲間を合わせて)の反応の仕方に、一定の幅があることが見えてくると、そのことに飽きてくる。

ただ、時間がない、だからしない、ということじゃないんだな。人付き合い云々をおいても、ある思考に降りて帰ってくるということは、自分にとってとても重要(それをやめようと思うときは、いろいろなものを同時にやめているときか)。

もちろん、やりすぎない、ということはある。