いろいろメモ

rhodia

実はあんまり日本人向きではないというか、罫が案外濃いので、それに負けない字を書こうと思うと太軸のペンを使わざるを得なくなる。いやオレの中での日本人というのはチマいペンでチマいメモを取る女子高生みたいなイメージということだけど。rhodiaに0.3mmくらいのペンで書くと紙質もけっこうでこぼこして感じられる。インクが若干吸われすぎていく気がするというか。中上健次を真似てロディアのマス目に小説を書き始めたのだが目がちかちかする。もっと薄い罫でロディア的な使い勝手のものを日本のメーカで出してくれないかな。小説を書いているというのは嘘です。

「さすが」

「おれ=ボドゲの人」という自己定義→ちょっとした話題にボドゲの人的コメント→さすがですね→セルフイメージ強化、というシナリオがある。
日記のやりとりだとそのへん増長地雷を踏んでいるな(相手にその意図がなくてもおれが踏んでいる)、というのがわかりやすいので、ファンジンを核にしたやりとりよりは健康的なのかも。
こないだのSFウゼェ話も、なんとなく偉そうなことを書いてる人というのが空気で偉くなっていく、という旧来の仕組みがあって、そういうことへのブロガー的反感なのかもね。コメント欄があるかないか。

出会い

ひょっとして、質問の人は「どっかウノできる場所ない?」と聞いてるつもりなのに、ボドゲの人が答えてしまってすれ違いになってるかも知れない。質問文のニュアンスがボドゲ的な臭いをかもしだしている。それはやってるゲームを明示すべきだな。
趣味でボドゲをやってる人から見ると、1人1日遊んで500円そこらも払えないことに対して「やる気あんのか」と思えるわけだが、ウノやりたい人(ある一つのゲームでわいわいやりたい人)には、場所代を払う、という感覚がない。おれもウノやるだけに500円払うのは嫌だ。というか、同じゲームをやりつづけるなんて拷問だ。

出会い:追記

あぁーこの「やる気あんのか」は「SF語るには1000冊読んでからな」と同根だな。で、こういうこと言うと、だからお前等は閉鎖的でぶつぶつ…とか言う人がいるわけだが。でも言った側としては別に、言うことで相手の行動を変えようと思ってないし、単なる感情の発露なんだけどね…あぁ…はい…そうですか、「発言には責任が伴うものです、自分の声の大きさを知ってください」…そうですかそうですか。

消費的・求道的

ときどきこっそり知り合いのオタの女の子の日記を覗くのだが、どうもその、スタイルが触媒的というか、普通に「**の香水にした」「**の服がちょう可愛い」みたいなものに置換しても大丈夫な感じがした。まぁそんなのは書き方次第だろうけど、うーんその、社交のカードとして消費を続けてくように見える彼女の趣味の本心はどのへんにあるのだろう、とちょっと興味がわいた。興味というか、あぁ結局よくわからないなぁ、ということがわかった。