いろいろメモ

メディアリテラシー

メディアリテラシーという言葉が本来の意味を離れて、一種の「俺は違うぜ」的知能テストになっている件。
いかにもありそうなことを鵜呑みにしてしまったとき、反省すべきなのは、「裏を取る」ことよりも「なぜ俺は信じてしまったんだろう?」と自分のバイアスに向き合うことではないのか。
「やられたー」「釣られたー」とか一生やってろと思った。

あーしかしあれだ

「いい加減うんざりだ!」「一生やってろ!」というのは、自分にとっては繰り返し現れているように見えているだけで、ネットで見てまわっていてそういう感想を抱くときの相手というのは、全然別の人として現れているものだ。
自分の側の問題として、そういうことが歳を取るということなんだなと(あ、週末で一つ歳が増えます)思い直すべきなのだな、というのが一つ。いい加減そういう話題に興味の針を動かさないようにしたい。
もう一つは「釣れた」とか「リテラシ」とかいう言葉を無自覚に使ってると、違う人であっても同じたぐいの人とみなされて、俺みたいなおっさんのマイナス感情をひきつけやすいよな、ということ。