桜の開花

開花を確認する気象庁の人の一挙一動を、各局のテレビカメラが追っているとは、日本とはなんともまぁ面妖な(雅な)国である。とどこかで誰かが言っているのを読んだ。いつ花見をするかなんて、近所の桜の花が咲いているのを自分の目で確かめればいいだけじゃないの、という理屈だろう。

かように桜は日本の文化に根を下ろして…という話は勿論どうでもよい。

日本人にとっては、桜が咲いたという事実と同様に「桜が咲いたことになった」という事実が重要なのだった。つきつめていけばその「ことになった」を決める最初のトリガーである、気象庁の職員の一挙一動に視線が集中してしまうということになる。わたしはこのことをあまり違和感なく見ているが、「ことになった」という発想の習慣がない人にとっては、まさにSFだろう。

そういう頭でぼけっと天気予報の天気図を見ていると、「桜前線」はもちろんだが、高気圧・低気圧・前線といった概念だって、これほどまでに一般の人が知っている必要なんてあるんだろうか、と思えてくる。

以上、日本人の言霊イズムに天気予報が大きく寄与しているというトンデモ学説。

BGMは「島唄」で。