日記
a.
起きた。iPodがPCにつなぎっぱなし、PCもつけっぱなし。
毎回、PCにつなぐと、iPodの時間が実際と1時間ずれる。正確には、タイムゾーンが「北京」になって、夏時間になってしまう。前の(今も使ってるけど)iPodでもこうだったような気がする。前のは充電はスピーカにつないでたから、同期なんてたまにやる程度だったのだけど、nanoはほぼ毎日つないでるから、そのたび時刻が変わって不便。
ちょっと検索してみたが、同じようなことをかいている人がほとんどいない(一例見つけた)。
PCやiTunesの設定なんだろうか…それらしいことはしてないはずだけど。
b.
興味のないものも、フィードリーダで目を通して、斜め読みするようにして数日経つ。
熟読しても忘れる場合があるのだから、そういうものは、たいてい、何が書いてあるかが理解できるくらいでちょうどよいと思うことにした。
読書能力が低いので自分には味読も速読も両方必要ということだが、今ひとつ根拠に欠けるとして、自分のなかで斜め読みをしたがらない意識があった。
たまたま今日、語学のテキスト(久しぶりに開けた)を眺めていて、音読で覚えようとする脳のとは別に、速読して言葉の並びからニュアンスを漠然とくみ取ろうとする脳があるな、とちょっと気がついた。ちょっとした会話文でも、覚えようという腹で読まずに、目でざっと見て、なんとなくこういうことを言っているのか、と(間違っていても)理解するということがある。これが、読書における味読速読の関係に対応しているな、と思った。
c.
気分が落ち込んでいると社交がしたくなくなる。したくなくなるというか、社交上の諸事が自分にとって関係のないことに思えてきて、それを持ちかけてくる相手が時間泥棒、注意力泥棒に思えてくるからやっかいだ。
このようなことを指して「マイナス思考」「気の持ち方」といった言葉があるが、頭ではわかっていても、落ち込んだ状態の人間にはそれが通じないものだし、なにより言葉が劣化している。
そう思い、自分の中で、「マイナス思考」「気の持ち方」に変わる言葉を編みだそうとした。しかし、言葉は揮発性が高いのでやめたほうがいい気がしてきた。手帳を出して、陰陽のマークを書いて、だいたいこんな感じか、と、自分だけしかわからないような納得をした。
落ち込んでいるとき世界がどう見えるかについてはいろいろ書けるような気もするが…、あまり意味がない。
あるひとは、こういったことを匿名でネットに書くことがある。他人の落ち込んだ状態のテキストを見せられるのは気分のいいものではないが、それより注意したほうがいいのは、それを書いた人が四六時中そんな発想をしているわけではない、ということだ。
たとえば、好きな女の子とちょっと口をきく機会を逃すと落ち込むし、好意的に長話ができると幸せに感じる。
落ち込んでいるとき書く場所があって、そこに書く人がいくらかいると、あたかもそこに「住人」「民」がいて、落ち込みという属性を有しているように思えるが、それは、まぁ「高気圧」「低気圧」程度の、観測による仮構なんだろう。