日記(昏い月曜日)

テレビゲームをして無為にすごした。

傑作と褒められてるものをプレイしても、「なるほど斬新だ!」「これははまる!」などと感じられるところが減ってきた。評判がいいものを選んで遊んでいるはずなのだけど。

おもしろいかどうか、ということだけを問題にしていると、「これはどこかで見た」「これはあのゲームの剽窃」といったところが鼻につくようになる。

かといって、手際や語り口を楽しむほど他のものをたくさん知っているわけではない。

鉄板のみ買ってやってみる、というやりかたが、むしろ遊びをつまらなくしている、というわけだ。メタ領域が痩せていると、飽きに対して耐性がない。

しかし、これ以上メタ領域を建て増ししてまで、退屈なものを面白くしようとは思わない。

別のことをしたいし、それに、ここで感じる退屈や失望も、自分のものだと思うのだ。

そういう一日だった。

たまには、過去遊んだどうしようもないテレビゲームや小説のことを思い出して、それを自分のものとしてひきうけて、憂鬱な気分になることがあってもいいと思う。

つまらないものは、壁に投げても、外部化できない。そのことを知るべきだ。遊んだ時間、読んだ時間は、わたしの歴史に刻まれてしまった。

追記

こういう具合に倦んでる人に「**を買えば新しい経験が得られます」というのは、結局、退屈の種を一つすすめる、ということだよな。<新しさ>なんてせいぜいそんなもん。

ほかのことに飽きてしまわないようにせいぜい適当に(ある部分一生懸命)やります。