日記、語学とプログラミングについて

朝からまだ涼しい。

プログラミングにも音読の習慣があったほうがいい、という記事を以前どこかで読んで「?」と思っていたが、最近そういうのも、あながちおかしくもないように思える。手を動かすよりはもちろん効果は薄いかもだけど、概念を引っ張ってくるフックを作るのに手段は選ばないというのが本当のところだろう。

語学の勉強で、文法中心か、会話中心か、ということが問題にされたりする。最近語学のテキストをよく拡げるけど、会話というのは時間制限があって分岐が無制限にあるゲームみたいなもので、もちろんそのゲームをうまくやる、という緊張感による上達はある。相手が生身の人間だと上達も速い。

上の意味で考えると、会話というのは効果が最も高い学習手段の一つ、ということになる。「会話中心」と言った場合、会話が手段なのか目的なのか曖昧だ。

会話を、勉強のいち手段とみた場合、たとえば音読という方法も、会話のための練習ではなく、脳にフックを作るための一つの手段ということになる。音読がうまくなってリエゾンが効かせられるようになってくると、処理単位が大きくなるので、聞き取りも書き取りも上達する(と思う)。

そういうやりかたで、他の勉強も捉えられないかなぁ…などと思った。まぁ、会話=実機に触る、というのが一番効率がいいのだけど。