デザインについて
道具を馬鹿みたいな目的につかうかどうかは、最終的には道具の中に、デザイン的な理想を感じられるかどうかということになると思う。
こういうふうに言うとこの動物めがッ、と罵られる気もするけど。
使い手を評価して失点をつけていくような方法は、機能するかも知れないが、後ろ向きで、理想がない。
そういうのは悪い意味での「ゲーマーズゲーム」だと思う。
ゲーマーズゲームとは
たまに、同人で作られたカードゲームを遊ばせていただくことがある。あぁやはりプロのものとは違うものだなと(すいません…いや、同人でも面白いと思ったものもあるし、プロの作品にもつまらないのはたくさんあるけど…)思うこともある。
私はとくに忍耐力に乏しいので、数字の上げ下げに終始するようなゲームだと、特に、「うぅ…」という気分になる。
たとえば、あるゲームの手番で
- Aという選択肢:すぐに+5点。しかし伸びないかも知れない
- Bという選択肢:すぐに+1点。状況によって今後伸びて追加で7点くらい稼ぐ可能性がある
- Cという選択肢:すぐに-2点。
といった三択になったとする。はっきり、それが数字でカードに書いてある、としよう。
Cはまず選ばないとして。AとBの間で悩む。うーむ、なんというジレンマ。
しかし、「+5点」「+1点」という数字の上の損得勘定を提示されて、それに基づいて判断できるのは、ゲームプレイに慣れた人だけなんだと思う。
あまり洗練されていないゲームというのは、このあたりの数字の操作が露骨。私は飽きっぽいので、数字のプラスマイナスだけを見ていると、だんだん味がしなくなってくるというか…「ま、やらせたいことはわかるんだけど、単調だよな」と思ってしまう。
すぐれたゲームは、その「5点」「1点」という利得を、その都度明示的に示さなくても(理詰めで考えれば結局得点の判断なのだけど)、選択肢が「おいしそう」に見える。ただの駒やカードが、価値を帯びたありがたいものに見えてくる。
「失点だと知って選ぶ奴」は馬鹿なのか
さらに続ける。
「選択肢Cを選んだらすぐに-2点」される。だから、理性ある人なら選択肢Cは選ばないだろう。
でも、こういう仕組みが効果を発揮するのは、ゲーマーと呼ばれる人相手なのだと思う。
効果はゼロではないかもしれないけど、相手がかならず選択肢Cを選ばないようにできるかは、期待できない。なぜなら、選択肢Cが「おいしくない」ということが直感でわからない人が、-2という数字を見せられて、それを自分の行動のモチベーションにむすびつけられるかどうかは、怪しいから。
「5点はおいしい」「-2点は辛い」という感覚が通じていない。
いやほんと、これは実際に経験があるんだけども。ゲームに慣れていない人や、そのゲームの勝利条件がよくわかんないままプレイしてる人は、「明らかにそれは<ない>やろ」という選択肢を選んだりする。(私もよくやって怒られる…。)
脇から、それ自分が失点するだけだし、その選択肢はありえないよ、と教えてあげても、いいんです、みたいなリアクションをする。そういう場合、そもそもゲームに参加している目的が違っている。ボードゲームやるっていうから人生ゲームみたいなものだと思ってました、的な。ゲームの目的が共有されてないのだ。
その人がゲームに関して鈍いからだ、と一方的に責めることはできない。
「こちらの理屈」が通じない相手に「こちらの理屈」に由来する得失点システムを持ち出しても、通じなげ
一般的に考えてみて、ゲームの目的を共有していない人を前にしたとき、「-2点」という縛りにどれほどの効果があるのか。
皮肉っぽく言うと、正しい選択をした人が、「-2点」を選んだ人を「馬鹿じゃないの?」とこきおろす権利を、手に入れるだけだ。
「-2点」を選んでしまう人は、このゲームにおける-2点の意味を理解できないのだから、確かに馬鹿なのかも知れないけど。でもそれは、何か違うような気がするのだった。
どうでもいいが
煙草のパッケージに大きくガンのリスクが書かれているからといって、いまだもって、それを吸う人のことを、「日本語が読めない馬鹿」だと…本気で思える? 私は思えない。