I see your face, and I like your face

はてなダイアリーの日記を見ていて「この人はまたこんな、どこかで見たようなことを言っているのか」と思うことが増えた。「またこんな」の「また」というのは、書き手が繰り返しているのではなく、読み手である自分が似たようなもののまわりをほっつき歩いているという意味。

自分の精神状態が原因なのかも知れないし、何も為さないままここ(日記を読み書きすること全般)に長く居すぎて、正直飽きた、ということもあるだろう。

自分はほとんど人の日記を読まない。主体的に、なんだなんだ、と思うときというのは、何かもめごとが起きているな、というときだったりする。もめごとの多くは、結論がでても「そんな気持ちの問題やら態度の表明やら、どうでもいいじゃねぇか」と思うので、ますます読みたくなくなる。

どうでもいいじゃねぇかと思う一方では、その話題がその人にとって目下重要なことだし、書きたい気分だから書いているのだ、ということはわかる。書いてあることが自分にとって頓珍漢(あるいは、ちんぷんかんぷん)でも、それを書いている人がいるということを知りたい。

どうでもいいことに関する日記、それからその日記に対するコメントや言及の理屈の部分だけを見ているから、「どうでもいいじゃねぇか」で、気分が悪くなる。

重要なのは、その人が、そのどうでもいいことを、いかにして書いているか、ということ、つまり文体ではないかな、と思った。自分は、その人のことが知りたいと思っているだけで、その人が語っていることの正しさに影響されたい(あるいは、間違いを指摘したい)わけではないのだ。

まとめ

自分自身に言い聞かせよう。

どうでもいいことを読もうとして苛々する原因を、自分と書き手のあたまのよしあしや、書き手との考え方の違い、その他、性別・職業・身分・年収・モテ度の違いなどに、求めないようにしましょう。

違和感を覚える原因の多くは、

書き手のいわんとすることはなんとなくわかるが、その切り口・文体が苦手

だからなのだと、考えることができます。言っていることが全く理解できない、ということは、そうそうありません。

文体の問題にしてしまえば、

  • なるほどこの人はこういうことを言うときこんな書き方をするのか
  • 自分ならどう書くだろうか
  • 自分の知っているあの人ならどう書くだろうか

といった興味に、結びつけることができます。