「まじめにやれ」
で、はてブコメントに言及をもらったので、関連したことを書く。
anond.hatelabo.jpに虚構を書いて遊ぶと、皆が本音を書きあっていた空気を壊してしまってよろしくない、という意見がある。
そうだな、とは思うが、それで壊れてしまうようなものなら、仕方がないんじゃないか、とも思う。壊れる部分は、もとから無根拠なバブルだったのでは。
虚構だって本音だって、まじめに書いている時点でおなじリングにあがっているのだから、そこで共存すればいいと思うのだ。
もしも自分が
ここはみんなが本音を書きに来てるところなんだよ、まじめにやれ
と言われたら、私はこう返す。
たとえばあなたが、自分の不遇をanondに書いている人だとして、あなたが本当に不遇かどうかは、あなたの書いたものを信じるしかない。どれだけ自分は真剣だ、と言われても、読み手側には、どうしても最後に「…というふうに言いたいんだね?」という留保が残る。
しかし、あなたがまじめに書いてるかどうかは、書き方でわかると思っている。
改行をたくさん入れたり、「どうですこれが人生の真実です」と悟ったようなことを書いたり、1行でなにか、わかったふうにレスしたり、という書き方は、「まじめに書いてる」ようには、私にはあまり思えない。
あなたの人生もあなたの見解も冒涜しない。人生に真摯に向き合っている、立派でまじめな人なのだと思う。
でもせっかく、まじめに生きていることを書こうとしているのなら、もう少し、書くこと自体ににまじめになったらどうか。
anondには、画面右上に「**の日記」という、自分の書いたものだけを見るリンクがある。anondを使っているひとは、ときどきこれをクリックして、読者として自分の書いたものを読んでみてほしい、と、私はずっと思っている。自分という、一番近い読者が読んで、それは耐えられるものだろうか?