Slice

寒い

はてなにログインするとき、「えっと…おれのidは…」と一瞬とまどった。惚けてるだけなのか、idの字面が自分の実感を離れているという意味でいい傾向なのか。

部活でのゲー話あれこれ

  • 極端なプレイを試すのは「これで勝てたら必勝になってね?」を検証して、そのゲームが壊れていないかどうかを確かめるため。テストファーストプレイング。
  • 段ボール部は、居酒屋などのアフタートークによるプレイの回収とアイデアの放散があるから、それなりにうまくまわった、という史観。消化するだけでは何が楽しいのかわからない。
  • 人は言い方が8割。
  • BGGに参加しよう。
  • WebAPIを使おう。

ゲー話あれこれ(思いつき)

以下は会話とはあまり関係のない思いつき。

  • 意図のないコレクションは、はてなブックマークの「タグづけで整理した気になる病気」に通じるものがある。ある程度有用だけど、その有用さは整理魔にならないと感じられない。
    • たとえば「匿名議論」というタグを100個の記事に振って、後でそれを読むとき、その読みが「匿名議論」という問題のフレームから出ることは稀。
    • なぜタグを振ってあとで読むのか、というのはもっと根の深い話だと思う。
    • 検索のためにタグを振っておくのだ、というのは、問題がすり替えられている。今の自分のフレームにはめ込んで処理するのが無理だから、タグを付けて後で読もうとするわけで、タグを振ることは、敗北を認めていることに他ならない…というのは言い過ぎだが。
    • 今日わたしは自分の認識のフレームを成長させられているんだろうか、という不安。
    • ま、そんなことはwebに求めるなという結論なのかも知れない。
    • なんか読むにしても、手に入る岩波新書を全部読む、みたいな方向で、自分とやりとりしていったほうがいいんじゃないか。教養厨かそれ。いや、たかが新書ぐらいで教養とかガタガタ言うもんじゃないよ。
  • 情報集積行為について。プレイした評価をスコアで付けるという地味な作業に関するアンビバレントな感情。そういうことを地道にやってる人のおかげで、購入の目安ができているのも確かではあるのだけど、目安は目安にしかならない。
    • そういうスコアリングの平均は、層が絞られているから有益たりえるのであって、たとえば「人生ゲーム大好き!」的な、今のマニア層と違う人が、何かの拍子で大量に流入してきたら、単純なスコアリングの平均値はほとんど無意味になる。
    • 家庭用ゲーム機のゲームのユーザーレビューサイトとか見ると、そういう感じがする。
    • スコア平均が無意味ということではなくて、どうすれば、平均という情報を超えて、言葉や概念の開拓ができるんだろう? ってことだ。
    • おれのお気に入りのゲームがファミ通で40点獲っても、べつにおれの趣味は豊かにならないから、どうでもいい。…あ、いや、ものすごく遠回しな発想では、いいスコアを獲ったのと似た傾向のゲームが作られやすいだろうから、影響はなくはない。
    • しかし、自分の感性が40点ゲームに近い位置にいる、という安心感は、たとえば、カウントダウンTVを見て流行してる曲に自分の感性をチューニングしていれば音楽聴くのは安泰だ…というのに近いかも。それがおかしいわけではないし、なんにしたって感性のチューニングの結果の産物なのだけど、平均値だけがチューンの目標ではない。