いろいろメモ

日程調整にツール使う派?

ここで感じる「わざわざ」感というのは、ツールを使うことのめんどくささではなく、日程調整ということがらだけ、別の仕組みを作ってデータを置かないといけないということ。「このツール結構便利ですよ」いやそういう問題じゃないんです。「時間」という生活に必要不可欠な要素が普通にネットやってるだけでなぜシームレスに扱えないのかというストレス。

日程の表現

webで自由に日程データを使わせようと思ったら、日付と任意のグループ名をURIだけで示すような(dateuri.jp/2008/06/12/hogefuga/ みたいな)サービスを作って、参加の可否はトラックバックやコメントをそのURIで受け付けるとかどうか。hogefugaグループでの日程データの集約の仕方が肝か。

不粋なツッコミ

この役の配置は意味がわからない。1-6と1-1は確率は倍違うだろうし、そりゃ理不尽にもなる。
…あ、違うわ。赤白ダイスだから倍じゃない。すいません。
しかしボードゲームって相変わらず、辛いタコヤキを食べるなんかの罰ゲームみたいなものなんだなぁ、と、泣ける。雰囲気がすべて。

「**ポリー」って言うからには、ネタカードのスロットは出目の合計になってて、あと他人をハメるという機構があったほうがいいだろうから、いらないネタを置く場所も出目の合計に連動して…(空想したままf.o.)

そりゃま

何の具体例もないのに一人で「こういう人もいるかも」だとかぐだぐだと書くのは、藁人形相手の独り相撲だけど。

タグの話

ブクマのタグは分類になっている場合もあるし、そうじゃない場合もある。単に、読んだものに、自分の考えた意味を付与してまわってるだけという場合もある。
たとえば、「人生」というタグによって、読んだ文章に、自分なりの意味を付与しているとは言える。でも、そのタグで検索するかどうかはわからない。
意味の付与行為が自己目的化してることを悪いとは思わない(「人生」や「これはひどい」タグがまったくの無意味だとは思わない)けど、そこから何処に行くんだろう、という疑問は残る。
自分の実感として、たとえば「人生」というタグを振るときというのは、「これに適切なタグを振るとしたら…うーん、強いていうなら人生、かな」とひねり出すのに近い。しかし、後で「人生」で検索するわけでもないのに、何を無理矢理ひねり出しているのか。

もしまだ、ブックマークを使ってる人が「検索のためにタグを振ってるんです」としか考えてないのだとしたら、やだなと思った。実際にはタグによる検索は成立していない領域もある。「タグは検索のためにあってフォークソノミという有用性も持つ」という建前的な認識の上でのブクマ論だかなんだかも相当怪しいと、私には思える。

82年生まれはキレやすい

「凶悪殺人犯の血液型についても精査が待たれるところです。予想だけど、B型が多いんじゃないかなー。いや、カンですけど。おれの知る範囲での。」