いろいろメモ

オセロが好きになれない

終わっても指した同士が会話して研究とかしなさそう、というイメージを持ってるからか。遊んで、語って、また次遊ぶという、遊びのエコシステムが機能してない、単なる喧嘩に見える。もちろん「オセロ連盟」みたいな求道的な世界もあるだろうけど、一般的な遊びの次元で考えると、オセロ=勝ち負けを決めるやりっぱなしの遊び、という印象が強い。

自分で駒もひっくり返せないくらいの障害を持った人とオセロをやったら、コテンパンに負けてしまって、聞くと、実はその人のお父さんが「何か一つ自信の持てるものを持ちなさい」と、彼にオセロを仕込んだのだった…という記事をどこかで読んだ。

いい話だとは思うが、ひっかかる部分もある。

勝って嬉しい、負けて悔しい、を味わうためだけにゲームを遊ぶのだとしたら、オセロでコテンパンにのされた後、負けた方は、「悔しいな、障害のある君に僕はオセロで負けたけど、徒競走なら負けないぞ、あの木の下まで走って競争だ、はっはっは」と言えばいいのだ。

あーいや、憎まれ口を書きたいのではない。やってる本人たちは普通に楽しんでいると信じたいのだけど、そこに周囲が「自分への自信」という価値を盛りつけてしまうのが気色悪いな、というか。そんなの遊びじゃない。