日記

微妙なランチ記録を更新。

安楽椅子探偵」の録画したのをひとに渡して、自分でも見た。この番組見るのは初めて。

ダミーについて

自分が本格ミステリ的の中に感じる情緒的な愛着は、「ワンダと巨像」みたいなビデオゲームで、本筋じゃない場所に、ふらふら迷い込んでしまう体験に近いものだなと思った。

「ワンダ」のミニマルな展開を見ると、いっそのこと、通常フィールドもなくしてボス戦だけで構成すればどうなるだろうとも思うけれど、そうしてしまっては、世界の果てにいるという情感が出ない。本筋に関係ないとしても、意味のわからない場所を歩き回って迷う、という経験は、必要不可欠なんじゃないだろうか。

何かありそうに線の引かれた山の斜面の模様や、遺跡の石の並びを見ると、それらは(たぶん)本筋とは何の関係もないのに、プレイしている頭では、それらのどうでもいい点の情報を拡げて、後で登場するかも知れない仕掛けやストーリーを空想しはじめる。

「迷う」ということを、世界に主体的に関わるために必要なインタラクションだとするのなら、思わせぶりで無意味なものは、単なる正解までの目くらましではなくなる。

安楽椅子探偵」を見ながら、ダミーかも知れないと思いつつも、いろんな施された仕掛けの数々にあれこれ想像を働かせるのは、そういう経験にとても近くて、楽しい。

あぁ…、番組内で出てきた、岬におかれた石の台座を見て、おれはワンダなど連想したのか。わかりやすい。