ゲームとはふつうの人には「非日常」の演出みたいなこと

脳のなかの古い部分の自分がこう言った。

これをゲームとか面白そうとかどんだけ娯楽燃費がいいんだ。そういう人は、チェーン系居酒屋で一個だけ辛いのの入ったたこやきを注文したりして、食ったときのリアクションを見たりするのも楽しいんだよねきっと。わーわー。

Twitterの自分が、捻ってこう言った。

中年ゲーオタは、リア充にとっての「ゲーム」=「負けたら酒を飲む」に不機嫌さを出さずに適応する能力を問われる。

私は酒は飲めないほうだから、こういう遊び(?)をやらされたら本気で嫌がるかも知れない。しかしそれはシチュエーション次第だし、普段自分たちが居酒屋でやる、紙とペンを使う遊びのほうが「よい」、というものでもないだろう。

さらにTwitterの自分が言った。

「おれがこないだ飲み会でやったよさげなゲーム」のルールを書こうと思ってみたが、「789」の説明の5倍くらいになりそう。普通の人が呑んでいる頭で説明を聞いただけでは理解できない分量。酒を飲まされるのを嫌がる酒弱者もいるし、複雑なルールを聞くと頭がオーバーフローするルール弱者もいる。

「そんなんゲームじゃねぇ!」と顔真っ赤にして言うほどのことではないが、さりげなくdisるくらいはさせろ、くらいの心境か。

この話題は4年前から私の関心事になっていることだが、あまり私は進歩してないな。(「要は人間力、ケースバイケース」で片付けられそうな話題をほじくってしまうという意味で)

今日記を書いている自分として言うこととしては、これくらい。

つまらないと思っても、そこに自分の好みの娯楽的な要素を持ち込もうとせず、その退屈に耐えることは、生活力の大きな要素だと思います。がんばります。