**を趣味にするのはアリですかナシですか

発言小町に「ボードゲームを趣味にするなんてヘンですか?(奥さんに趣味と認めてもらえませんか?)」という主旨のトピックが投稿されていた。

やっていることが世間的に認知されていないといろいろと不便なことはあると思うが、それは別に、それだけのことじゃないのだろうか…。そのトピックに「カタン知ってます! 頑張って!」という女性からのレスがいくつついたって、世界が変わるわけじゃなし(奥さんにそのレスを見せて、「ほら女性にもボードゲームが認知されているんだぜ」とか胸をはるとか?)。

やっている現場では、そういうこととはほとんど無関係に、いろいろ考えることがある。たとえば、卓を囲んだ人とどうやってその場の満足度を最大にするか、というのは、常時考えさせられるテーマの一つ。ルールの説明力、プレイ能力、卓を囲む相手との仲の良さ、相容れなさ、いろんなパラメータがあって、それに気をつけたりつけなかったりして、相手との関係を作っていく。関係というか私の場合、人の厚意に甘えさせてもらっているのに近いかも知れないけど……。

くだんの質問への感想を述べると、「ありかなしか」を、通りすがりの人に聞いて確かめたとして、それでどうなると思っているのか、不思議だ。「ありだよねー」「なしだよねー」と、人に言葉で呪ってほしいのか。(通りすがりの人にきかなければならないほど追いつめられているのかも知れないが……)

私のいる世界ではアリでもあなたのいる世界ではナシかも知れないので私が「アリ」というのには意味はない。あとは、ナシなら何がナシに感じられるのか、私のアリはどうしてあなたにはナシなのか、っていう対話だけじゃないのだろうか。

趣味かどうか、という質問であれば「今となっては趣味ではない」。いつも書くけどそういうものは、ある程度親しんでしまえば、ものの考え方≒生き方の様式のひとつになってしまうから。サークルに遊びに行くのは、そういう様式を選んだ(これから選んでみようかな、と思っている)人と、いろいろ話してみたいから。

確かに、(元記事で奥さんが評していたように)毎月ゲームをするためだけに集まっているというのであれば、それは私も、理解できない。でも、個人の内面ではそれだけでは言い尽くせないことが起きているのでしょう? そこんとこを言語化できてないんじゃないのかな。

ちなみに、言語化っていうのは「そこで**氏がまさかの一手で奇跡の逆転劇w」とかいうプレイログのことではない。

追記

しかし自分がこのように強弁できるのも、人的リソースを確保できる環境が整っているからなのであって、逆に言えば、いつでもそこからリソースが取れるような形の交流の場所をどうやって作るか、ということが、もっとノウハウとして確立されるべきなのかも知れない。

極端な話、ボードゲームなんてただの趣味嗜好の重なりでしかないし、それをやっていれば面白い感じで歪んだ人に会えるってだけだよ。

追記2

「奥さんをゲームにさそってみては?」などの回答があるのを見る。

「やればわかってもらえる」=「言語化を放棄してみては?」ってことじゃないの、それ。誘って「なんかわかんなーい」って言われても、「これならわかるわ」って言われても、別のディスコミュニケーションに悩むだけじゃないのかしらね。いいけど……。

ゲーム友達の家にお邪魔することがあるとして、そこの奥さんをゲームに巻き込む形で盛り上がったりするより、ゲームと関係ない方向でいい会話ができるほうがまともだと思うけどな。