今日のメモ (ストレイシーフについて、補遺)

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twitterなどになんとなく「これはこういうものか?」と感想を書いたら別のどこかで「批判も賞賛もさまざまですね」と書いている人を見つけ「批判とか賞賛とかしてるつもりねぇし!」と噴き上がってますます比喩表現を繰り出すのは、別にどちらも悪いことをしてないし、どちらも本当に何かを決めてしまいたくて書いているわけではないので所詮twitterに書いてる寝言だよと思ってしまうのがよい。

まぁそもそも「話題になった」のかどうかも、togetterによってそうコンパイルされてしまっただけなのかも知れないし、云々……。とりあえず脳に残ってることを書き出す。

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買った人が「ランドルフのゲームっぽい」と書いているが……。

少なくともランドルフのゲームは「なんか言う」ことが他のプレイヤーへの意志決定に影響を及ぼすと思うけど、S.T.はそこんとこが微妙じゃないかしら。プレイ中の行動が、意志決定に接地してない。

「よーしシーフ置いちゃうぞ〜」を受けて置く「じゃぁ僕はナイト置いちゃうぞ〜」には、根拠や裏付けもないばかりでなく、ゲーム的に見て、そういうことを言うのに、三味線以上の意味がない。さらに、言った内容が嘘か本当か明かされる場面でも、何の手の出しようもない。

そうだなー、なんでもいいけどたとえば「最後の検算時に割り込みできるよう、カードを1枚残していい」みたいなルールを付け加えたときの、ゲームの展開や会話を想像してみるとよいですよ……(それはマンマミーヤのパクリですが……)。「もっと楽しむためのオプションルール」とか、そういう次元の話じゃなく、「なんか言う」ことの意味が、「三味線」から「情報」に変わると思うんですよねー。

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で、それはそうなんだけど、S.T.に関して、私はそういう、意志決定に接地してないという妙な部分も含めて「おもしろいからもっとやれー」と思った。

嘘をついていたらカードが逆様に出てくる、みたいな仕組みは、捻ればもっとゲームっぽいゲームにも応用が利きそうだな、と思ったし。

S.T.を遊んだ人全員が、「これはゲームではない」というのなら、ひょっとしたら「ゲームではない」のかもしれない。でも、そうじゃない人もいるわけだ。私も別に、いいんじゃないの、ゲームという括りで、と思う。

ということは、「これはゲームではない」は「これは(私の定義によるところの)ゲームではない」と言い換えられるものだった、ということだ。

それまで素朴に「人生ゲームなんて双六だろ。こういうの<が>ゲームなんだぜ」と思っていた私たちは、そこで足元を掬われることになる。

全幅の信頼を置いていた、「ジレンマやメカニクスの上に成り立つゲーム性」だかなんだかいうものが、ローカルな思いこみに過ぎなかったことが、明らかになってしまったんだから。

a2.

あれを見て何か言いたくなるヘンな人たちと、気にならない人がいる、っていうことがわかっただけで、収穫だろう。