ぼんやりメモ

土曜日〜日曜日落ち穂拾い

適宜追加する。

1.
  • アランウェイクやる人はシャイニング観てるよね? 論
    • これ言うといきなり「押し付けいくない」「観てなくても楽しめればいいじゃんか」という、誰もそんなことは言ってねーだろ的反応が出てくるので面倒ですね
    • 詳細は町山さんのしゃべくりを聞いとけとかで対応。
    • 「観てるよね?」という外圧が昔に比べて働きにくいよね(「先輩」は死んだ)、という認識が私にはある
    • 外部参照するばかりが作品の価値を決めるわけではないが、しかし何の外部参照ももたず自己言及ばかり繰り返した結果のペッラペラな「剣と魔法」というのもあり
  • アジャイルスクラム
    • ケントベックの本で頭が止まってたので「スクラムってなんですか……」という状態でした……。
2.
  • 「ゲームで遊ぶというより仲のいい友達とデレデレするためにゲーム持ち出している」論
    • しかし必ずしも私生活でよく会ったりするわけではない。わたし流に言うなら「おもしろさへの探求心に関して信頼おける相手」とでも言うか。
    • だから対象は実はなんでもいいし、サークルは人材プールだし、ゲーム以外の企画でもツボをうまくつけばなんでも成立するよ、という話をいつもするわけですけども。
  • ゲームマーケットは東京ゲーマーのものやないで論
    • これはほんとそうなるといいと思うけど、規模が小さくなるのは仕方がないので、枠を緩くして総合文化祭的にやるのがいいのだと思う(し、そこに独自性があると思う)
  • 高校生ははたして遊びにくるのか論
    • まぁカードゲームやってる人なら鉄板だけど……
    • そういう人たちとオレらおっさんってコミュニケートできるっけ? という
    • ほっといても嗅ぎつけてくる面倒な奴もいてもいいけど、その周辺(昔で言うと、なんかぼんやりとゲームブックとか買っちゃってたくらいの層)にどうやってかリーチしないとな、とは思う。
    • 大人で言うとおしゃれ本屋に行くくらいの何かを持ち合わせている人
  • ボドゲサイトに足りないものってなんだろう論
    • にぎやかしでもクロレビやるといいよ、というのは同意だなー。キャラが立った人がなんか言うというのがもっとあるといい
    • 私の理屈だと、欠けてるのは「ID」。IDがないなら何を書いても架空書評と大差ない。ASINが使えるようになったけど、ASINでいいのかという。
3.

河岸を変えた後。

  • ランチミーティングは秀逸ですよ論
    • 普通の人は「ゲームをする」ということを主目的にすることに強い罪悪感を感じるので、「ランチしておしゃべりしてママ友作って子供も喜んだ」という経験としてパッケージすべきなんですよ
  • レビューを書いてショップとウィンウィン論
    • モデルが単純な割に「いくら貰えばいいのか」不透明。
    • 心付け程度に謝礼をいただいたり現物をいただくだけであったとしても、書き手に「貰って書いている」という気負いは出る。加えて第三者からのツッコミもめんどくさかろうし。
    • たとえば、衛星放送でやってる健康食品の番組を熱心に見る人はすくないよね? その番組がためになることを言っているにしても。
    • それにどんだけレビュー書いても、結論が「買え」だったら、それは既に雑誌なんかであるじゃないですか。ああいう雑誌を最初から最後まで一気に通読する気力ありますか? 私にはない。ページのあちこちから買え買え言われてる気がしてきて投げ出したくなる。カタログとしてはいいものかも知れないけど。
    • いや、確かに読み物もたくさんある。しかしなんでか読み飛ばそうとしてしまう。自分の想定してる雑誌と構成が違っているのかも。
  • 押し付けイクナイ、はいそうですね、誰も押し付けはしてねーよ論
    • 「えっ何日本酒って君香露とか呑んでんのププ」と「えっ何ボードゲームって人生ゲームのことだったのププ」はだいたい同じだった。
    • それを陽に言うと感じ悪いわけだが、でも言わないにしろどこかで思っていて、そういうのがマジョリティすぎる現状は酷いと思うから、それを確かめるために群れ集ったりするのだ。