日記

contrib

1回目。

morning

土日食べ過ぎの癖が直らない。

afternoon

NHKのニュースも人々のつらい様子を取材したものが多い。ニュースで私が知りたいのは「地震が起きたら、何がどうなっていくのか」ということであって、ひとりひとりの生死の行方が知りたいわけではない(重すぎる)。

目の前で津波に飲まれる人を救えなかった人の無念を映した「素材」が繰り返し放映される。しかしこの無念は特別なものではないし、見ている私だって無念といえば無念だ。その場で生で経験していないからといって無念になっていけないことはない。

母なる証明』のラスト前の衝撃的なシーンを思い出す。もうだいぶ経つから書いてしまうが、それまで2時間かけて母が追ってきた殺人事件の真犯人が、自分の息子よりももっと重い知的障害を抱えた若者であった、ということに<させられて>しまう。ウォン・ビンの熱演ではぜったいに到達できない、「真犯人」=ほんもののダウン症ふうの若者の顔のアップ。そのとき気づく。ここまで障害を持ったウォン・ビンとその母の救いのないドラマを観てきたが、それに全く並行して、もっと救いのないドラマが、無数に存在する。私はその一つをたまたま観たに過ぎない。

いままで何度か「今は戦時である」と思った記憶があるが、いつの間にか忘れてしまっている。何かを習慣として自分に埋め込まなければ、そう思い続けることは難しい。深刻ぶって日記を書けば何か埋め込めるか?

evening