まるまる抜けてた

パラノイア創造史 (ちくま文庫) をどこからか引っ張り出して風呂でうとうとしながら読んでいたが、パラパラめくると似たような図版が出てくる。なんだこれ、と思ってよく見ると、真ん中の32ページ分(折丁ひとつぶん)まるまる重複していた。こういうのは初めて見た。

ベストセラー本ゲーム化会議 「電車男」

いまさら、ですが(読んでる僕が)…米光さんの「これ、一種TRPG(テーブルトークRPG)みたいじゃない。電車男というマスターが物語を説明して、スレの住人というプレイヤーがフォローしていくっていう図式になってるから。」という指摘が面白かった。
最初に「電車男」のログを読んで思いついたのは、昔たしか万博のパビリオンか何かであった、「オーディエンスの多数決によってストーリーの分岐を決めるアトラクション」のことだった。正直、そんな数百分の一の意志決定権しか与えられないもののどこが楽しいんじゃ、とか思っていたが、2chだと、多数決よりはもうちょっと主体的に介入できるような感じなのだろう。それが斬新なのかもしれない。
オープンな議論の場は一応あるけどそこに適切な書法で適切なことを書くとそっち方向に場が誘導されるみたいなゲーム性。(あぁ、「人狼」ですなこりゃ)
2chではたぶん似たような構造の話はたくさんあるんだろう(だからまぁ、表面的な純愛云々というのは、あんまり興味ない)。電車男のアンチとしての、女の子にイタいメールを送ったリアクションを実況しつづけるスレとか…あと知ってるものだと「かなりやばい集落見つけました」とか。あれが失敗して「電車男」が成功したのは何故だろう? それこそが愛と友情ってやつなのかもしれない。…うそです…あんまり思ってません…

ヒーローものゲーム、子供の攻撃性増加の可能性

格闘ゲーム(みたいな、モーションを重視したゲーム)と身体感覚が結びついて、必要以上に攻撃的になる、みたいなことならすごくわかる(ヤンキーじゃないのに負けると台にあたったり)のだけど、「やっつける」ことに無自覚になる攻撃性っていうのも、あるのかな…。
「血が出る」→「現実の痛みがわかんなくなる」というのは実感ない。格闘ゲームのデモで、数メートル上から落ちたり、蹴りあげたりする映像が繰り返されてたりすることのほうに、腹が立つようになった。歳だねどうも。

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つまり、「攻撃性に関する5つの指標」というものが成長に伴う自我の確立と共に変化するモノであるとはいえないのだろうか。

今年の抱負 2

松の内もおわり。七草の素はありますがお粥は作ってません。

年明けて腹一杯書いたことでもあるし、ゲームのこと(や、それに絡めて別のこと)をいろいろ言うのも飽きてきた、というか今の自分の能力ではあきらかに弾切れなので、そろそろ普通の趣味として扱う頃合いかも。小説と同じで、年に4,5個感動的なルールに出会えればいいや、って感じです。プレイの機会を減らすって意味じゃないですが。

個人的にはまぁ恥ずかしくてここには書けないことがいろいろあります。そういうのを書かないこと、外部化しないこと、おおざっぱな概念で括らないことが重要だと思います。

あと明後日のプエルトリコ大会では決勝までは出られ…ますように…

洋楽神経をくすぐられる

ポラリス

ポラリス

ポラリス『風に語りて』。これはいいカバーだ…。ふだん曲名をほとんど見ないので、歌い始めたときすごく驚いた。