なんというか、ふつう。技術の限界に向かって「でも、やるんだよ!」という心意気が、この話のテーマだったとしても、その技術の描写が人間的なので、読んでいる間、ちょっと気を抜くと登場猫達が人間らしく見えてきて、猫SFとして読めなかったのだった。人間の技術を、猫リアリティを持った猫技術に読み替えたうえで、SFとして話が成立していたらすごいと思ったのだけど。あるいはそういう仕掛けが仕込まれてたのかも知れないが気付かなかった。

後記:つうかそういう猫原理にならないところ、人間より猫のほうが知能が高いんだよ、という所が、猫SF猫SFたるゆえんなのかもしれないと、思い直した。