マンマミーヤは面白いのか(つづき)

たとえば(B)の「マンマミーヤカード」。これを引いた人は、ピザができるかどうかの確認作業を行うだけなので何のメリットも無いように見える。このカードが山札の中に紛れて、手札補充時にランダムで出てきてしまうという趣向も、最初ぼくは、意味がわからなかった。

プレイした後で気付いたことなのだが、(B)のルールの本当の重要性は、「次のラウンドで最初の手番になれる」というところのほうにある。

このゲームでは、前のラウンドでピザにならなかったトッピングカードは全て次に持ち越される。その持ち越しカードに最初にレシピカードを乗せられる、ラウンド最初の手番の人は、少しだけ有利になる。

つまり、「マンマミーヤカード」を引いた人は、ラウンド持ち越しカードに対応できるように、(A)の、補充システムを使って、レシピカードの枚数を増やしておいて、ラウンド頭のレシピカード1枚を置ける確率を上げておくほうがいい。

しかし、手札の枚数は一定なので、あまりレシピカードを増やすと、トッピングカードが減る。これは、「確認」フェーズ時に、(C)を使って、自分のピザにトッピングカードを合わせるための選択肢が減ってしまうことを意味する。

最初から、自分が次の手番のスタートプレイヤーだということがわかっていれば、いいのだが、山の中から突然「マンマミーヤカード」は出現するので、プレイ中いつ判明するかわからない。出てきたときに、手札の構成を柔軟に変えていかなければならない。このあたりが(裏の?)ゲームになっている、のだと思う。記憶力ゲームであると同時に、手札のバランスを調整するゲームにもなっている。

問題は、こんなことは、マニュアルのどこにも書いてない、ということだ。利根川*1よろしく「…説明は以上です」で、一斉にプレイヤーが戦略を考え始めるなら、いいのだが、経験者と未経験者が混じっている場合は、明らかに経験者のほうがゲームのツボを押さえたプレイが出来てしまう。

マニュアルに明示されていないロジックを、どこまで未経験者に開示していいのか。確かに、ゲームのシステムの中から、勝ち筋を発見して実践するのもゲームの愉しみの一つなので、それを奪うような遊び方は興を削ぐものだが、わからない人は「その考えかたに行き着くまでがわからない」のである。

負けて悔しい思いをして、どうやったら勝てるのか、考え始めるという契機は、個人のものなのだし、それに他者が関わってはいけないのかもしれないけど、それでは普通のスポーツや囲碁将棋と大差ない。

考えてない人は、できない人、はいさようなら、と切り捨てるのは、簡単だ。

でも、テーブルゲームには、個人の思考能力を問うだけでなく、参加者が「おもしろさを見つける」「思考の場を作る」、という楽しさがあるのだから、もう少し、考え方の説明が、大事にされてもいいのじゃないか、と思う。

*1:焼き土下座。