マイナスイオン、実は有害

http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20030926#p01


「オレも常々、あれぁ怪しいって思ってたんだ…」
「害があるものを健康にいいだなんて、トンデモねぇな」
「ああ、これこそトンデモだ」
「はっはっは」
「ところでさ、最近オレこのブレスレットつけはじめてから調子いいのよ。血行よくなって肩も凝らねぇし」
「またお前、それこそトンデモじゃねぇの?」
「違うって! 本当に効くんだって!」
「そう? じゃちょっと貸してよ」

まず、なんでもかんでも「トンデモ」と言うのをやめよう。「トンデモ」には、主張が科学的検証可能性に乏しいという意味と、さらにそれを正当化している主張者の態度がおもしろおかしいという意味が込められている。批判したいものについて、この第二の意味が備わっていないのなら、トンデモと言わないようにすること。

たとえば「ゲーム脳」に反応して「お手玉脳の恐怖」みたいなものができてしまうのには、

みたいな論理の飛躍が感じられて、正直ぼくは、これ見て快哉を叫ぶというより「む…」と黙り込んでしまうのだった。(該当のフラッシュは、イベント時にライブで仕様作成→デザイン→ゲーム化というプロセスで作られた、記念品のようなものなので、単純に揶揄するだけの目的ではないことは承知)

信じる側が何故信じてしまうのか、それがなぜ強制力になってしまうか、という、社会的な(元記事では「一種の自然発生的な宗教」と書かれている)レイヤーの話が、問題にされるべきなのである。それは実は、科学的な妥当性とはあまり関係がない。

だいたい、「発掘あるある大辞典」ていどの(6人を2グループに分けて1週間やったらウエストが2センチ細くなったとかさぁ)検証方法で「おおー科学的だ」と思ってしまう人は「科学」の言葉の意味が違うのだから、もうそれは、いくら非科学的だと言っても、その人にはそれが科学なんだから、どうしようもないのだ。

そんなわけで、別に森教授にそれほど腹を立てているわけじゃない(なんで教授?とは思うけど)。