正しい勉強法は勉強が進んだユーザーにこそ必要(かも)
(この項修正:040224)
「教えてはてなダイアリー」で、教える人が安易な解決方法を教えてしまうことの危険性について。
鶏が先かなんとか、という話かも知れないですけど、個別のケースの蓄積よりも、教える側の知識の参照先があれば、すこしはましになるんじゃないでしょうか。
じぶんの経験上の話ですが、CSSに限らず、正しい勉強の仕方というものは、学習者のスキルが高くなるに従って、どんどん絞り込まれてくるものだと思います。だから、教わる人に「ここを見て勉強してください」ということより、教える側の人にとっての知識のベースがあるということの方が、重要だと思うのです。
ここで強調したいのは、正しい理論理屈を知らずに勉強し続けるのは危険だ、ということだけではありません。経験を積んだ後のほうが、理論の「正しさ」について強く納得できるという、経験と理論の不可分性です。
今まで丸暗記のようにして覚えていた経験が、理論によってつなぎ合わされ「そうだったのか!」と目から鱗が落ちる、ということはあると思いますが、この「そうだったのか!」は特別な経験ではなく、勉強そのものの本質だと思うのです。「そうだったのか!」と思ってしまった後では、「もっと早くに正しい理論を知っていれば遠回りせずにすんだのに」と後悔することもありますが、しかし最初から理論先行でやっていたのでは、勉強を諦めていたかも知れません。
だから、「正しい」知識というのは、むしろ経験を積んだ人のほうに近い場所にあるし、経験を積んで「正しさ」を知らない人にこそ、「正しさ」の門戸が開かれていると思いたい。
だから、我流で教えようとしている人に「こちらのほうが正しい」とアドバイスしてあげるのは、決して大きなお世話や、その人のそれまでの勉強を否定するようなものでは、ないと思います。そういう人にこそ、「正しい」知識・理論が必要なのです。相手の気分を害さないように気は遣うでしょうが。
逆に、「初心者」が最初から正論を勉強するのは、たいへん難しい。雰囲気をつかむために、ある程度対処療法的なものになってしまうのは仕方がないと思います*1。
もちろん、対処療法の繰り返しでは教え甲斐もないので、そこからもっと知りたい人のためのポインタを示すことは、必要だと思います。
しかし、知りたいと思っている人よりも先に、教えようとしている人に正しい知識のありかを示したほうが、効率はよいのではないでしょうか。
という言い方はあまりにも不遜なので、やり方としては…
教えようとしてるユーザーが、自分がレコメンドするサイトや書籍なんかをまとめてみるというのはどうでしょう。教えようとしてる人が拠って立つものがあれば、教える活動も孤立無援な感じにはならず、やりがいもあるのではないかと思います。
誤解のないように書いておくと、これは、教えようとしている人の善意を否定しているわけではなく、教えている人が何かの典拠にもとづいて楽しんで教えられるための、仕組みを作ってはどうか、という意見です。
自分が知っていることを一生懸命教えたのに、いきなり(ここ重要)「それ間違ってるよ」と言われたのでは、やりにくかろうと思います。
*1:たとえば私は、何か新しく勉強することができたら、完全な入門書と、<正論でよさげ>な本を必ず2冊買うようにしてます。…あ、完読するかどうかは聞かないで