自分にとって友達とくに異性の友達とのメールのやりとりは改行や展開に気を遣うもので、それなりにどこかでフックを作って読んでもらおうとするのであって、そう考えると、とくに携帯電話のメールは、平安時代のひとびとがコミュニケーションの道具として和歌を使っていたことと似てるなーと思いついたのだったが、これを掘り進めて書くとイタい自分のメル友ヒストリー(メル友が痛いわけではない)を見てしまいそうなのでやめます。

想像するに、和歌というのは(ぼくの使い方による)携帯メールと同じで、技巧を尽くして「これ読んだらびびるに違いないクックック…」というほくそ笑みを込めて書いていたのではないか。

それ以外に伝達の手段がなかったら、そうなると思う。