ギャンブルに後悔は大事

23日お昼ごろ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040521-00000008-kyodo-soci

「後悔」しないと負けが大きい、というのが、根拠不明。

ルーレットが完全に「運」だけのゲームだとして*1、負ける確率が一定だとすると、「後悔してやめる」ことに、何か意味はあるのだろうか。「勝ってそこでやめる」能力なら、まだわかるけれど、完全な運勝負のギャンブルは、やればやるだけ、期待値に近づいていくわけで、その期待値を下回っているとき、続けてプレイすることを簡単に「後悔脳」が弱い、で片づけることはできないのではないか。

もちろんその期待値というのは、プラスではないだろうけど。

というか、また脳かよ、おめでてぇな! と思った。ギャンブルに負け続ける人を脳の機能障害のように言っていいのでしょうか。

実験結果はまともなものなのかも知れないけど、それが簡単に、日常の雑談などで演繹的に使えてしまう場合、その間に何か大きな省略があると思わなければいけないし、そのことを知っていて、発表者や報道者が、何かの自分の主張のためにこのような事実を並べようとしているのであればそういう人は信用おけないと思う。

*1:本当は、それに対する資源のマネジメントがギャンブルの面白さなのだろうけど、そういうところへの着目はあまりされていないような…? 実験では「金をかけてやってもらい」とはある