バカ言う奴がバカじゃ

朝風呂に入っていて顔を洗ったら鼻血が出た。こどものとき、鼻血を出しただけで「エロ」と言われることの屈辱感を思い出した(そしてまぁ、それはかなり本当のことだったから、ますます僕は逆上した)。鼻血という事実に基づいて「エロ」と言われることは、子供の世界では、そこから先、一生消えない烙印を押されたのと同じような気持ちがするものだ。ほんと泣きたくなる。だいたいは言った当人たちも言うのに飽きて、二日くらいで言うのをやめてしまうけれども。でもそれが文字に残っていたらどうだろう。

子供のみなさんが、自分の世界の中で、どういう位置づけで「ホームページ」とか「掲示板」を使ってるのか、気になる。技術的知識に乏しく、ただただ、先生に教わるまま「ホームページの作り方」を習っただけで、見よう見まねでファイルを上げたりしているかれらにとって、web上のファイルというのは、ぼくらが考えているよりずっと、可塑性の低い、彫り物のようなものでは、ないのだろうか。

子供の頃、悪口を言われると、おとなたちはよく、「言わせておけばいいじゃないか」「バカという奴がバカだ」などといった詭弁で回避させようとした。

しかしそこまで成熟した切り捨てができない、あたかも悪口を言ってくる奴のロジックが正しいような気がして揺れてしまうのが、子供なのだ。なぜ「バカという奴がバカ」なのか、しっかり考えさせるべきなのだと思った。そしてそれが文字として残ってしまうとき、本当に「バカという奴がバカ」は通用するのか、考え直すべきじゃないのかと思った。

理屈っぽくなってますます虐められても知らないけど…。

などということを思っていたら
http://homepage3.nifty.com/kazano/200406b.html#14_t1
を読んで、自分のあさはかさに恥じ入る。「どうなんだろう」と一般論(のようなもの)を語ってる暇があったら、とっととやれよ、ということです。