パブリッシュできない人がすべて…

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20040724#hatenacomm

http://d.hatena.ne.jp/yukatti/20040722#c にも書き殴ってます。kanoseさんyukattiさんおふたりが「Web日記の書き手は、パブリッシング指向かコミュニケーション指向かどちらかだ」という主張をされているように取ったのは極端でした(というより、多少、自分の言いたいことを言うために極端にとってみた、というのが正しいかも)。

「強い/弱い」は、外向きと内向きという言い方もできるかなと思っていますが、これがはっきりしている人の方が少数派で、中間にいるぽややんとした人が一番多いとは考えています。

これには全く同意で、パブリッシュ「できる」「してる」人、以外の人がすべて、内輪のコミュニケーションに閉じてるわけではなく、「したいのにどうしていいかわからない」人が多いのだと思います(自分を含めて)。そういう意味では、パブリッシングを指向してる人はかなり多いという印象です。

パブリッシュできない人同士が、コメント欄やキーワードで馴れ合っていることが、「キモい」と言われがちなのでしょうが、僕は、これにも生産性があるのではないかと思います。

とくに「はてなダイアリー」が面白いなと思うのは、馴れ合い方が完全に無秩序になっているわけではなく、自分にとってのスターみたいな人の方向を意識しつつ馴れ合える、というところです。全体として、パブリッシュがきちんとできてる「えらい人」「カリスマはてなダイアラー*1を中心に、ゆるーく秩序が出来ているのじゃないでしょうか。

別に「えらい人」が何か能動的にこうしろと言う、わけではないのだけど、きちんとした人がちょっと足を伸ばせば届くところにいる、というのが重要ではないかと。学校の教室の雑談で、仲間内の馬鹿話なんだけど、クラスのアイドルの方に聞こえるように喋ってしまうような感じです。「えらい人」に聞こえるか聞こえないかくらいの声で喋ることを、繰り返すことで、自分も「えらい人」のやり方に近づけるんじゃないのか、という希望があるのではないかと。

かなりやらしい感じですが、このへんの人の目や評価を気にするやらしさが、前の日記で自分が「弱さ」と書いたことであって、仲間内のコミュニケーションに閉じこもることが「弱さ」ではないのではないかと。「弱さ」というか「強くなりたい」みたいな感じでしょうか。

「えらい人」も自分も、すべてエントリのレベルで等価だ、などというウソっぽいことを言っているから、僕はブログが好きじゃないのかも知れない。「えらい人」は、どうやっても自分にとっては「えらい人」なのであって、自分がおいそれとコメントしたりリファしたりする相手ではない。でも、コメントしようと思えばできるし、声の届くところにいる。それくらいの距離感で自分のことをやってるのが、背筋が伸びる感じがして、いいのかも知れないです。

はてなダイアリートラックバックの実装が比較的プアに作ってあるのも、そのあたりから考えると面白いなぁと思いました。

*1:なので、ぼくは「カリスマはてなダイアラー」という言葉については、パブリッシュできないわれわれの側の欲望をうまく表現した言葉で、それほど嫌いではなかったりする。