なぜ「紛争」になるか-2:主観的な公共性

長くなりそうなのでメモだけ。「公共のため」「みんなのためになるから」「みんなが困るから」という発想(主観的な公共性の考え)が、問題のもう一つの大きな根であると考える。

これに関しては「キーワードは公共物である」という考え方を有る程度やめて、「立てる責任者」「削除する責任者」などの考え(内容については公共のものだけど、キーワードの成立と削除については、責任を明確にする)を導入することで回避できるのではないかと思っているのだけど、詳細はまたあとで…