「いのちの〜」について 2

コメントへお返事。


>通行人さん,id:Ebisさん

言葉足らずなところ補っていただきありがとうございます。個人の資質の問題になってしまうからチェックが必要、というか、そういうことをシリアスに要求するようなものは「クラブ」にはなじまないのではないかという気もします。

id:hinopさん

いろいろありますので箇条書きで失礼します。
まず、クラブに関する前提の確認。

  • 「クラブ」に代表は存在しません。
  • 「クラブ」とはキーワードを媒介にして串刺しに検索される、日記のことを仮想的に指しているものです。
    • いつのまにか実体としてのクラブが存在するような話になっていますが、設立に手続きは不要ですし、「クラブと思いたい人がそう言っている」程度のものです。
  • ただ、キーワードを立てた人・編集した人・そのキーワードに言及している日記を書いた人、があるだけです。
  • これを「クラブ」と呼ぶのは一種の諧謔を含んでいます。なぜならクラブと呼ぶには責任者も運営主体もいないから。
  • 参加している人たちは、そのことをふまえて、「もしクラブだったら…」という想像の下、いろいろなローカルルールを決めて「遊んで」いるのです。

まず以上の点をご理解ください。

この「クラブ」の上に、鬱状態で困っている人にコミットするという、シリアスなテーマは、そもそもなじまないのではないか、と、思います。(ですからもっと、気軽な感じで…「いのちの」…であるとか、死にたいであるとかいう重い悩みまで引き受けないような形であれば、そういう「クラブ」もありかな、と思います。)

hinopさんは、「当該クラブの代表ではない」とおっしゃっておられますが、もともと「代表」など、ないのです。「クラブ」について、代表や参加者がいて、そこに何らかの力が発動するようなイメージを持たれているのかもしれませんが、それは違います。このあたりが話の食い違いの原因ではないでしょうか?

結局、クラブというのは、「あまり誰も使わない言葉」で「日記記述者が積極的にその言葉を書く」ことで「捕捉」する、だけなのです。

「いのちのはてなダイアリー」という言葉は、クラブとしては成立しているでしょう。しかし、それはそれだけです。誰かが日記に言葉を書いたら見に行く。コメントする。それだけしかできません。参加は自由です。ここは何度強調してもいいと思いますが、誰がどのような文脈で参加しようが勝手なのです。

そのような、あやふやな仕組みの上に、人の重い悩みを引き受けることは難しいのではないですか?

はてなダイアリークラブ的には問題ないと認識しているのですが、法的にはグレーゾーンなクラブなのでしょうか。

なぜ、「クラブの要件」の次が、一足飛びに「法律」になるのかわかりません…。その間の、「hinopさんがクラブで何をして、それによってどういうメリットがあるのか、デメリットやリスクをどう評価しているか」という説明が抜けているから、不審に思われるのではないでしょうか。これは法律に照らし合わせる(たとえば、ある種のカウンセリング・医療行為にあたるかどうか、ということでしょうか)以前の問題です。

hinopさんは「代表ではない」でしょうが、積極的に賛意を示して、キーワードを編集して、その主旨の下に活動しようとされているわけですよね? 「クラブ」の定義からして、それは十分に参加者なのです。もはや、キーワードが存在する/しないを問題にしているのではなく、hinopさんがそこでやろうとしていることを問題にしているのです。

上にも述べましたが、「いのちのはてなダイアリー」という言葉自体は、クラブとしての要件を満たしています。しかしそこで何をするかは別の問題です。削除どうこうの前に、もっとご自分がなさりたいことを、筋道立てて、明確に説明していただけないでしょうか?

(あ、これは説明しろ、ということではなく、ひとに「わかってねぇなぁ」という態度で臨まれるのであれば、もうちょっとわかるように言語化したほうがいいのでは、程度の意味です。)

hinopさんが「クラブ」の名前を借りてやろうとしていることは、ちょっと話を聞いただけでは危なっかしいものに思われるので、僕を含めて日記やキーワードにコメントされている方がいろいろ言っているのだと思います。

僕の案としては、上にも書いた通り、「死に瀕している人を救う」などとと気負わず、もっと緩い括りで「鬱」を語り合うような「クラブ」であれば(もちろん、その中には深刻な状態の人もいるかも知れないわけで、それは個別に対処するなりなんなりする)、賛意も得られやすいのではないかと思います。