キーワードの存立と活動は別のもの

  • a)「クラブ」キーワードを立てる行為
  • b)「クラブ」キーワードを編集する行為
  • c)「クラブ」キーワードの趣旨に沿った活動
    • 日記を書いて能動的に捕捉される
    • リストから日記を辿る
      • さらにコメントする・リファする

「クラブ」に限ったことではありませんが…。
これらは全て別の相を持っている(行う人もそれによって発生する利害や責任も、abcはそれぞれ別のところにある)と僕は思うのだけど、それがあまり理解されてないな*1という感想を持ちました(今回のhinopさんだけの話ではなくって)。
自分が知っている限り、これまでのキーワード関連の言い合いは、「キーワードを存続させるかどうか」ということが命題になってしまったため、a)b)c)の利害領域(責任領域?)がワヤクチャになって議論が紛糾してきたのではないかと思っています。
たとえば「a)立てる」ということに関していえば、「語」をキーワード空間に置いてよいかどうか、「語」の適切さそれ一点について議論されるべきであり、逆にいえばそのことに限定すれば何もキーワードが公共物であるという前提は不要なわけです(立てたい人が立てたからそこには歴とした責任はある)。「必要かもしれないじゃないですか!」という摩訶不思議な理屈は領域を限定することによって回避できるのではないかと思うのですが。

*1:ああ、僕が思ってることだから、これは、理解されてないな、っていうか、メジャな考え方ではないな、的な