そうか

はてな内でのディシジョンメーキングなんてもんは
そもそも運営者側への同情を誘って周囲を納得させる為の釣りであって
満足感を与えるためのフェイクだったのが確定しちゃったと。 

昨日今日の自分の日記がながいのもそういう喪失感からかも知れないなぁ…あ、暇だからですか。「近藤さん」という格と「はてな」という会社の格は別のものだと思うことにして、過大にプラスの評価をする(社長の人物像にサービスへの期待をのせたりとかする)のにブレーキをかけてきたので、そういうもんなのかなぁ、という感想を持ったくらいですけども。

なにもいちいち全部がフィクションだったとは思ってない(http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20040722#20040722f1 に書いたことは冗談ということにしておきたい)し、まだ多くの理想を持っているサービスだとは思ってるので使うんだけど、「あいのりの××が好き!」みたいな無邪気な「はてな応援」のりに「そうだね」ってにこにこするのに、一つハードルが必要になったくらいのことは、あるかも知れない。

「信じられない、だから、さいなら」というのは単純だと思うし、信用っていうのは「信用できる、できない」という二値ではない(そのへんが、問題に直面して法のレイヤから「ポリシー」としか言わない人に疑問を感じる理由かもしれないなぁ)ので、「だから、さいなら」という理屈の運びもヘンだと思うけど、そういう単純なハッピーなかんじを拾えなくなっちゃったのは、残念と言ったほうがいいのだろうか。

時間が解決してくれるだろうか。あまりに沢山のひとがログやwikiを残していて、後から見て、いったい何が起こったのかよくわからないかも、というのが救いかもしれない(んなこたーない)。