『翼ある闇』,麻耶雄嵩

昨日からドトールなどで読み中。清涼院流水がなんでミステリの枠に入れられるのか、あるいは、入れようとして滅茶苦茶にいわれるのか、今ひとつわかってなかったですが、この人がいるから流水がいる、みたいな感じですか。(本作は91年、流水の『コズミック』は96年。)
描写・文体は、小説としての何かを捨てている。美術や建築や音楽についての固有名詞による喩えは、知ってる人しかわからないし、知っててもたぶん添え物的な効果しか果たさない。人名も適当。要するにいろんなものが極度に記号化されている。
読者がある程度ミステリを読んでいることが前提なので、ふつうのミステリがやるような、「XならYだ。しかしXではない、ということはZしかない」みたいなもったい付けた展開も、あまりない。途中の推論も思わせぶりに断片的なことを言うだけ。
要するに、早く謎解きを! ということなんでしょう。「120分間ミステリ」というタイトルのクイズ本があるとしたら、こんな感じかも。
理屈以外は斜め読みをすればいいんだとわかって、早足で読んでます。