いろいろメモ

日記で喧嘩をふっけられたときの判断基準

コメント欄で「あなた」を多用する人は、<わたし>のテキストが同じ地平で見られているということを意識の外に追いやっていると思われる(コメントする私が特別であるという前提がある)ので、相手してもあまりまともな落としどころは見いだせないかも知れない。
「配慮しようと思います。今後とも見守ってください」とか書いておけばいいのかも。
あー、ないしは、コメント欄の文字を日記本文よりでかくするとか。

「依存」

これは依存というものではすでになく、全ての自分の情報のソース/リアクションがサービス内で事足りてしまうということを意味していて正直自分でどんどん頭が惚けていくのを感じる(ブックマークの最初のコメントと後のコメントを見比べて、乱暴な言葉遣いになっている人は、その傾向があると考えていい)。
ここで問題なのは、適切に情報を選択して生き残ってしまうのはやはり情報強者だろうということであり、無力な人は?rでオモシロチェック→?bでコメント→そのコメントが他人の?r?bお気に入りにキャッチされる…というミラーハウス的な構造に疲れてやめてしまうだろう。
そこから抜ける仕組みはないだろうか。脊髄反射で終わらず、個々の自分のフィーリングを串刺しして眺めて、新しい情報を取り入れられるような。
串刺しのキーとしてタグ、あるいは自分内カテゴリが利用されているが、考えてみると「ネタ」「オタ」「web」、そんなことは自明のことであり、そんなもの友達の写真に「友達」と書き入れるようなもので、本質は写真と写真を結びつける補助線にある。カテゴリが補助線になっているかどうかははなはだ疑問。

却下されますた

idea:2037

他の方のコメントを閲覧する前にブックマークしていただければと思います。

そういう問題じゃねぇよ!(笑)。

ソーシャルブックマークつって「見える」ことを推し進める前提のシステムで「イヤなら見なきゃいい」に類するコメントというのは、これ如何に。(別に怒ってるわけではないし、実際、見なければそれで済むんだけど)

しかし、上にもちょっと書いたけど、「見るか、それに耐える能力がなければ見ないようにするか、どちらかだ」という話じゃないと思う。見ながらエゴと馴れ合いの肥大に耐えられるような仕組みをつくって、ひとの生産性を上げるということじゃなかったのだろうか。