バトンについて

ここ読んで昨日書いたことをもうちょっと詳しく書こうと思った。

自分の結論としては、「どちらかといえばしない」くらいの評価。チェーンメールウゼー、とかそれほど強く思ってるわけではなく、企画意図がはっきりしていて、なるだけならオリジネイターのURLがきちんと書いてあれば、それでかなり心的抵抗は減るので、答えやすいかな、と思う。そのへんの答えやすさと、自分の答えたい欲を天秤にかけて判断する。

答えにくい、というのは、まぁ「気持ち悪い」に類する感覚。どこから始まったのかもよーわからず、とりあえずまわってきたから次どぞ、みたいなのは、あんまり気持ちのいいものではない。これは別に、ネズミ算式に増えるから、ネットワークのトラフィックがどうこうとかいうことではなくって(そういうこともあるんだろうけど、それを最初に考えるのはみみっちいと判断する)。

かたや、友達から回ってきたので友達にまわす、みたいなレイヤの話があって、これはこれでかまわない。僕も、回ってきたMusical Batonは、そのつもりで答えて、多少つながりがある方に回した。イヤ感と楽しんでる部分は、両立してる。

気持ち悪さ、イヤ感についてもう少し書いてみる。知り合いの好きなものを読んだり、自分の好きなものを開陳してたものが、なんでか突然「ミームの伝播」みたいなとらえ方をされたり、後世発売されるであろう「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書 2」の中で、2005年6月が「Musical Baton流行」とか書かれるのは、気持ち悪かろうな、という感じがする。

オレはただ自分のつきあいの範囲で回ってきたから書いただけなのに、なにそれ「流行」って。自分の荷担した憶えのないことに対して荷担したことにされちゃうのが、ヤな感じなんだと思う。

あと、「…ところで、いったいこのバトンって習慣、だれがはじめたの?」と、ふと我に返ったとき「さぁ…そんなもの、どうだっていいんじゃないのか?」と、自分以外の全員がそんなこと全然気にしてないことがわかった衝撃って、小松左京とかのショートショートでよくありそうな。

自分の小学生か中学生かのころの刷り込みで、そういうのはショックなんだと思っているので、「はじまり」がわからないようなものには、抵抗があるってことかもしれない。

参考: