ゲームガタリについて

「極端にマニアックなものや気軽なものを求めるゲーマーが今のゲームを作ったんだ」とか言われても、求めるつったってメーカーに圧力をかけたわけでもなく、別に出てるものを買ってるだけなので全く実感はないのですが、そういうことを言うと「お前みたいな態度がゲームをダメにしたんだ」「やっぱり実感がないんですね」とか、秘技・循環論法で言われる可能性があるので黙っておきます。

僕はもうRPGをしたくない、とたびたびこの日記に書いていますが、「やっている時間」それ自体はそれほど苦痛ではないようです。このあいだも、ウィザードリィをちょっと進めました。昔と違ってPS2などで出るゲームは、小目標と大目標の設定が上手にされているので、やりはじめるとどんどん先をやりたくなってしまいます。

問題は、やっている時間ではなく、プレイ時間の後それを自分の中でどう整理するか、ということで、これが「システム」「バランス」「シナリオ」みたいな、20年前から全くもって変わっていない用語しか手元にないと、非プレイ時間にプレイ時間を総括することがきわめて苦痛です。だいの大人が数十時間かけて遊んで「シナリオ」だの「世界観」だのしか言えんとはアホか、と、一遍にやる気が失せます。ドラクエは、大人も無心に楽しめるというふれこみでしたが、それを翌日知り合いに語るときは、語る言葉がなく、小声になってしまうのじゃないかと思いました。もちろんこれは印象を言ってるだけですが。

のでまぁ、基本的に、受け皿になる言葉がないような、ちょっと変わったゲームや、脳内の記憶の整理とひろがりそのものを問題にしているような、一部の任天堂ゲームは好んで遊びますが、後はどうでもいいって感じです。